e日記風 独り言

#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録です。
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楽 天 の 商 品

-2274- 12年前の 3.11
= 今日は画像なし m(_ _)m =
早いもので東日本大震災の発生から12年が経った。
あの日あの時間、私は家から数Km離れた大和駅の近くのマクドナルドの2Fで知人2人とほぼ週一のお茶をしていた。このあたり一帯は相模台地と呼ばれる岩盤地層(米軍厚木飛行場は地震対策でここになったと聞いたことがある)でマクドナルドの建物も軽量鉄骨作りのせいか比較的揺れは少なかったと思うが、それでも窓から見える電柱は折れるのではないかと思われるほどに揺れて電線が縄跳びの縄のようにうねった。揺れの瞬間地鳴りの音が止むと店内はざわつき始めたが、私は当時ガラケーだったし今のように地震速報がなかったせいですぐには震源などが分からなかった。マクドナルドの店員が一応2Fまで異常がないか見回りに来たが、壁掛け時計なども落下したわけではなく、パーティションや机なども移動しておらずそのまま営業が続いた。知人の一人が家に年寄りが一人でいるということで心配して近くの家に一旦帰り、戻ってきて TV速報で東北地方が酷い津波に襲われていると教えてくれた。
しかしこの時点で電話がつながらず我が家がどうなっているかは分からなかったが、マクドナルドの揺れ具合などから耐震設計のマンションならまぁ大丈夫だろうとあまり心配はせず即帰ることもしなかった。自転車で出かけていたので、 30分ほどしてから帰ると、家人から「こんなに大変だったのに何をしていたの!」と心配半分に怒られた。聞けば 6Fの我が家の揺れはかなり酷く建物が潰れるのではないかと思ったということで、リビングにおいてあった水槽がひっくり返って水浸しになって、後始末が大変でその後庭に避難したがマンションの住人は皆怖がってしばらく庭に出ていたと聞いた。
長女は普段都心の会社に通勤していたのが、この日は偶然に近くの指定病院で健康診断を受けており、その帰り道を歩いている際に地震に遭遇し慌てて帰宅したらしい。TVから伝わる帰宅困難者のニュースを聞くにつけ、会社に出社していたらその日のうちの帰宅は困難だっただろうと偶然に感謝した。次女は車で相模原市内の会社に行って更にそこから車で外出していたとのことで、一旦会社に戻ってから帰宅したが、帰り道が酷い停滞だったらしく途中で非常食を買いつつ夜になってから帰宅した。
一家で TV画面で繰り返し流される津波などの被害映像に釘付けになりながら、次女の購入してきてくれた食料などで夕食をとったが、とどまることを知らない被害の拡大ニュースと、その後報道され始めた福島の原発のリアルタイムの被害情報に戦慄した。
一方阪神淡路大震災の時は、まだ工場勤務で朝方ニュースで現地の震度情報を知って心配しつつ出社し、昼休みに食堂の TVで被害映像を見てびっくりした記憶がある。
最近になって再び地盤沈下・隆起データにかなりな異常値が記録されていると聞くが、大したことなければいいんだが。
2023/03/11


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