-2259- 年賀状 |
昨日の記事で、Uターンして早速届いた年賀状を見たと書いた。 そこでもらった年賀状を読みながら思った。 年齢的に、ちらほら「年賀状仕舞い」の挨拶も今までもらってきた。そんな知り合いが増えるのも歳のせいだが、自分でも毎年 どうしようか? どんな年賀状を出そうか?と悩む。 私の年賀状は? と言えば、工場転勤から本社に戻ってフィルムカメラからデジカメ開発に移行した 1995年秋、新宿ヨドバシで 720dpiの Epson カラーインクジェットプリンタ「MJ-700V2C」を 7万円強で購入して、別途スキャナも購入して家人の書いた俳画をスキャンして取り込んで年賀状プリントを始めた。年賀状といえば当時は版画やたまに凝った人はシルク印刷などが主流の時代だったが、それらとは一線を画した出来栄えに自己満足した記憶がある。以来プリンタは数代更新したり、宛名印刷を「筆まめ」というメジャーなアプリから自作の Excel VBAプログラムに乗り換えたり、文字フォントを手書き風に変えたりしたが基本は同じで通してきた。(そのせいで一昨年は自作プログラムのバグで郵便番号が間違って印刷され 1~2枚が不達で戻ってきたが) そこで今更ながら 改めて「もらって嬉しい年賀状」はどんな年賀状だろう? と自問した。 結果、優れたデザインの年賀状でもなく、達筆の年賀状でもないと結論。私が嬉しいのは年一回だけの音沙汰で簡単な近況が分かる年賀状だ。「あ~ 長いこと会っていないが、こんなことを始めたんだ! こんな変化があったんだ! あの頃は・・・・」などとしばし思い出に浸る。 確かにメール全盛の今日、メールならもっと大量の情報が頻繁に伝えられるから年賀状なんて止めて LINEなどのメールで挨拶する人も増えたが、やはり世代的に親族含めて全員メールで という訳にはいかないし、年一回の挨拶のためにメアドを教え合うという文化も半デジタル世代には馴染めない。 元々 この e日記なるものをブログ流行の前に始めた理由は正しく、当時の会社の周りの人事のゴタゴタ、上司との軋轢に嫌気が差して元の会社を飛び出したものの、それまで一緒に仕事してきた若手のエンジニアに何とか近況やエンジニアとしての矜持を伝えたくて始めたものだが、それほど積極的に知らせているわけではないし、流行りの SNSなどと比べれば残念ながら一方通行に近い。 だから今でも「クドクド」(家人に言わせればだが)と「語る」年賀状を出し続けているんだ、ということを再確認。 |
2023/01/03 |