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from 2003/10/ 5e日記風独り言e日記の起源

新しい年になりました。
2004年 1月の e日記です。

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null画像 TVの普及と文化の変化 その4(なし) -91- TVの普及と文化の変化 その4

前回まで述べたのは、TVが手の届かないところにある映像を伝えることにより、多くの人が同じモノを欲しがったりすることにより、価値観が画一化していくということでしたが、今日は TVの特徴のもう一つの点についてです。
 それは、多くの番組が同時に多くのチャンネルで放送され、視聴者はリモコンのボタンを押すだけで簡単にそれらのチャンネルを切り替えられると言うことです。世の中で実体として起きていることが気に入らなかった場合に、それを回避しようとする事と比べると、このチャンネルを替えたりスイッチを切るという行為は実に簡単です。例えば他人と何か話をしていて、ちょっと気まずくなったり自分にとって面白くない方向になったりした場合、話題を中断したり変えるのは結構気を使います。あるいはどうしようもなくなればその場を逃げ出すしかありませんが、それも結構勇気が要ります。でも TVの番組を切り替えるのにはそんな気遣いは無用です。気に入らなければ、あるいは気の向くままにちょっと指を動かすだけで目の前の状況はその人の気に入った展開をするのです。我慢とか、努力とか、周りへの気遣いとか、そんなことは全く必要ありません。
 こう考えていくと何か思いつきませんか? そう最近の子供達の問題点と一致します。我慢が足りないとか、周りの状況が読めずに摩擦を起こすとか、その果てには「切れて」取り返しのつかない事態を引き起こしたりとかです。TVが生活の中で普通の存在になるにつれ、マスメディアとしての責任をなおざりにして視聴率競争だけに注目した番組製作が当たり前になってしまって、娯楽性が強調されるあまり、それを見る人たちが徐々に変化をしていっているように思います。我々のように途中から TVが出現した世代とは違った見方をする世代には、精神構造まで TVの存在が影響しているとしか思えません。そして、我慢や辛抱といったような経験が乏しい子供が、身の回りの現実がチャンネルを切り替えるように切り替えられなかった時、どうして良いか分からなくなって突然「キレる」のではないでしょうか。
 勿論、成長の過程で自然と身に付くはずの、我慢とか耐えるとかいう経験が少なくなってしまったのは TVの普及のせいだけではありませんが、「キレる」と言われる子供の増加が TV普及世代の親の子供達(2世)の世代になって急に増加したのは TVの影響がかなり強いと私は思っています。まぁ私は教育学者でもなく心理学者でもないものですから勝手な推論が平気で書けていいのですが。
今日も写真がありません。被写体も無いのですが、寒さについ戸外で撮影するのが億劫になっています。

2004/01/27
 
null画像 TVの普及と文化の変化 その3(なし) -90- TVの普及と文化の変化 その3

また、TVの文化への影響についてです。
 最近は、食べ物の番組が非常に多いような気がします。TVが好きでない私からすると他人が「美味しい美味しい」と言って食べるのを見て何が面白いんだろうかと思ってしまうのですが、きっと 何時かはあれを食べたいとか思って見ているんでしょうね。
 こうした番組で、本当はほんの僅かの季節、その地域でだけ食べられる食材のおいしさをTVが伝えた途端、日本国中でその食材が引っ張りだこになったり、その地方を訪れる人が増えたりしますが、でも次の食材が伝えられるとあっという間にまた元の状態に戻る、そんなことを繰り返して地域性は失われていきます。
 私の世代の場合、テレビが生活に登場したのは中学生の頃でした。小学生の頃、電力会社に勤めている父親のいる同級生の家に TVが入って、そこで「透明人間」というドラマを見た記憶があります。家に帰っても「どうして人間が透明になれるんだろう、あの包帯を顔から外していくシーンはどうやって撮影するんだろう、もし自分が透明人間になれたら何をするだろう」などと興奮して真剣に考えたことを憶えています。そして、それまでになかったそれらの体験はテレビの向こう側のモノを「虚像」として、それまでの身の回りのモノの様な「実体」とは区別してみる TVの見方を自然に身につけることが出来るようになったと思っています。
でもその後生まれた世代は、物心付いた時から生活の中に TVがあります。TVと言うモノは身の回りのモノと同様に「実体」なんです。ですから彼らの世代にとっては TVの向こう側の「虚像」とこちら側の「実体」が混沌として、実体と同じように TVに映された映像によって価値観が左右されたとしても当然でしょう。 TV画面で見たキャラクターに遊園地で会ったら、例えそれが空を飛ばなくても、それはもう画面全体、ストーリー全体が「実体」になってしまいます。最近は更に進化して、実在しない仮想の俳優が演技をするドラマが出来るのではということすら言われています。
 戸外が寒いので、不精して写真は今日もお休みです。スミマセン。

2004/01/24
 
null画像 TVの普及と文化の変化 その2(なし) -89- TVの普及と文化の変化 その2

テレビの文化的な影響についての続きです。
 テレビも雑誌も、メディアはニュースになるものしか伝えません。大多数の視聴者・読者と同じ生活やそれらの人が普通に手に入れられるもの、つまり「大多数の普通」には報道の価値は無いのです。
 あるいは、視聴率本位のテレビドラマには、生活臭のある家や汗を流して働く人々は登場しません。全く手の届かない真のハイソサエティも対象にはなりませんが、ちょっと手を伸ばせば届きそうな程度の、口当たりの良い生活がさも「都会ではこれが当たり前」と錯覚させる風に演じられます。ドラマのシーンは、瀟洒な住宅に住む美男美女がお洒落な洋服を着て、気障な台詞を吐きながら美味しそうな食事をする場面でないと、暗愚な大衆はチャンネルを回してしまうのですから。
 自分の家の庭の個性に気付かないで、隣の芝生が青く見える人たちには、自分が住んでいるのが日本のどこであれ、心の中でそうした画一的な「格好良さ」を基準に身の回りのものを評価するようになってしまうのです。本当にそうした生活をしている人がどれくらいいるのか、見せられないその陰にはどれくらいの汗や愛憎と言うような醜いものが詰まっているのか、更には平穏とか本当の幸せとは何かということを自問することすら忘れてしまって、 TV画面の向こう側の生活をそっくりそのままに、主人公だけを自分に置き換えて、現実から逃避し、一時心の高ぶりを楽しんでしまうのです。
 その結果は、地方地方の価値は忘れ去られ、日本国中画一化した価値観が蔓延してしまったのだと思います。
今日の写真はお休みです。今夜は元の会社の大先輩「Kさん」の定年退職の壮行会に行って、昔の懐かしい仲間と美味しい酒を頂いてきたのですが私は写真をとりませんでした。ラスベガスの写真はあるのですが、ちょっと時機を失してしまいましたのでパスします。

2004/01/22
 
jpg画像 TVの普及と文化の変化(img88.jpg) -88- TVの普及と文化の変化

出張やらで中断していた話「技術の進歩が予想を越えたお話」を再開したいと思います。今回の話はちょっと長くなると思いますが、TVの普及とその影響に関してです。
 私の子供の頃初めて目にしたTVというものは、モノクロで画質も悪かったのですが、おそらく大人の1月分以上の給料に相当するほど高価なものだったと思います。その頃私は、私の家は勿論ですが各家庭にTVが入るとはとても考えていませんでした。それが、池田内閣の所得倍増政策と技術進歩のお陰で、瞬く間に各家庭に普及し、画質もカラーになって驚くほど向上しました。今や HDTVがそれに置換わろうとしています。
 アメリカの何処かの放送局(TVが始まる前ですから、ラジオ局だったのでしょう)の偉いサンが、当時発明されたTVを見て、「これは人類の文明を変える」と言ったとか。目の前に無い遠くのものを、ブラウン管上に映し出すことにより、さもそこにあるかのように見せてしまうテレビは、ブラウン管・撮像管・電波 などの技術によって成り立っていますが、写真同様やはりその初期には モノクロの粗い画面で、とても現在のような娯楽用になるとは思えなかったのでは無いでしょうか。
それが、今や 人々の価値観の中心にあり、それが伝えるものは アメリカ大統領選挙を初めとして政治・経済・文化 といった世の中の殆ど全てを左右してしまいます。そうした身の回りから遠い例ではなく、私が気付いた一つの面白い実例をあげると、例えば中央線・中央本線の各駅停車で、新宿から甲府に向かって高校生を観察していくとよく分かります。新宿の近辺では、一人も見かけなかった靴のかかとを踏み潰して、教科書はもとより勉強道具は何も入っていないだろうペチャンコのカバンを持った腰パン姿の高校生が、甲府に近づくにつれて増えていきます。甲府駅で見ていると、何と殆ど全ての高校生がこうしたスタイルなんです。<これはどうしてか> 私の分析では、情報感度の高い彼らはテレビで伝えられる一部の特殊な「都会の・先端を行く」であろう高校生を、都会の全てと勘違いしているのではないでしょうか。そして「都会に遅れたくない」という一念で、それを真似してしまうのです。
 今日の写真は昼休みの散歩で見つけた 水仙の花です。

2004/01/20
 
jpg画像 またも雪(img87.jpg) -87- またも雪

一昨日-昨日の雪の騒ぎ+センター試験を過ぎて、ほっと一息、朝の惰眠をむさぼっていると、夢の中で嫁さんの声「お父さん、起きて!また雪が積もってる。チェーンを着けなくちゃ」。
一変に目がさめて、外を見るとまたもや雪景色。しかも大きなボタン雪がボトリボトリと言う感じで落ちてきます。でも長女が勤めに行く時間が来てしまい、仕方なく急坂をノーマルタイヤでそろりそろりと下って駅に送りました。駅の横の広い駐車場でタイヤチェーンをつけて、帰りの登り坂は無事パス!
本当に朝から慌しい一日でした。
今日も雪の写真と言うのも芸がありません。
先日の、LasVegasの続きです。
ホテルベラッジオでしたか。 Parisの向かいにあるホテルの庭の池(ホテルでは湖と呼んで、窓から見える風景をレイクサイドビューと言うらしいのですが)で、かなりの回数行われる噴水ショーです。
ラスベガス 一のホテルと言われるらしいベラッジオの庭で、音楽と共に吹き上がる噴水が、まるでダンスを踊っているようです。私は このホテルに泊まったわけではありませんので、通りをまたいだ陸橋の上から、落下防止用の透明プラスチック越しに写真をとりました。若干プラスチック板への周りのネオンの映りこみがありますがご容赦。

2004/01/19
 
jpg画像 センター試験(img86.jpg) -86- センター試験

ラスベガスから帰って、ちょっと気を抜いてしまいました。
日記更新を4日ほどサボってしまいました。
昨日・今日と大学入試センターのセンター試験でした。我が家の一郎さん(娘ですが)も再挑戦ですが、あいにく昨日からの雪で今朝はJRが運行されるかとか、道路の雪は・・・など本人と一緒に随分心配しました。
結果は、大した事無くてよかったですが、結果は・・・・・?
駅まで送ったついでに、近所で雪景色の撮影をして見ました。まだ日の射す前の雪景色です。

2004/01/18
 
jpg画像 ラスベガス(img85.jpg) -85- ラスベガス

もう一回 LasVegasの話です。
LasVegas という町は、グランドキャニオンのコロラド川をダムで堰き止めて出来たフーバー湖から砂漠の地に水を引いて灌漑した町です。本当に町の周りは砂と岩山だけ、飛行機で飛び立った後を見ると、町のすぐ回りは岩山で、高い山の頂には私たちがつく前の日に 5年ぶりに降ったと言う雪がまだ残っていました。
もともと砂漠ですから、鉱山や農業など全く産業が無いのですが、そこに水を引いて町を作って、ギャンブルを産業として全世界から客を呼んでギャンブルをさせ、客が勝ったら客から、負けたら店から税金を徴収して、産業の乏しいネバダ州が潤っていると言う、石原都知事が真似したいと言い出した町です。
今日の写真は、昨日の写真のカジノの外側、パリスホテルのエッフェル塔の写真です。このエッフェル塔の下がカジノの町並みになっています。

2004/01/13
 
jpg画像 ただいま!(img84.jpg) -84- ただいま!

5日間ほど、LasVegas の CES(コンシュマーエレクトロニクスショー)に出張に行ってきました。ショーは、Hilton Hotelのコンベンションセンターで行われるのですが、LasVegas というとカジノのギャンブルを連想し、24時間眠らない町のように思われがちですが、今回私が泊まったのはLasVegasの中心から車で 40-50分ほど離れた岩山の中のリゾートホテルでした。岩山の中とは言っても、そこはアメリカのリゾートですから ちゃんとそこだけは緑があるのですが、回りに見えるのはやはり赤茶色の岩山だけです。夜中に、月明かりに照らされた光景は、岩陰からコヨーテが出てきても不思議でないような風景です。
折角の LasVegas ということで、一晩だけは 市内のレストランで食事をして、カジノも覗きました。そこで気付いたのは、カジノの天井が非常に高く、空の模様が描かれているんです。日本で行けば初夏の夕暮れ少し前のような感じでしょうか。非常によく出来ていて、ビルの中に入ったはずなのに不思議な感覚に襲われます。どうもこれは、時間を忘れさせ夜遅くまで(朝早くまで?)、ギャンブルを続けさせようと言う魂胆かもしれません。実際、夜の10時頃行ったのですが、時計を見ないと時間を錯覚しそうでした。
今日の写真は、このカジノの風景です。右奥の柱が空を支えているのが分かりますか?

2004/01/12
 
null画像 暫く(なし) -83- 暫く

話が佳境(?)に入りつつありますが、明日から出張予定ですので暫くお休みします。
もしかしたら現地から旅のレポートが出来るかもしれませんが、期待しないで下さい。
再開は 来週初めの予定です(体力があればの話)。 それでは・・・・

2004/01/06
 
jpg画像 技術の進歩 その3(img82.jpg) -82- 技術の進歩 その3

技術の将来予想を出来なかった話の続きです。
今回の話は製品からはちょっとずれていますが、部品です。
携帯電話やデジタルカメラの中に使われている、不揮発性のメモリであるNANDフラッシュメモリについてです。
このNANDフラッシュは、1980年代の終わり、東芝で発明されたものです。発明者の一人である N技師長は私が技術者として尊敬している方で、幸運にも年2-3回は酒席にお誘いをいただけるのですが、私は奇しくもこの発明のニュースがラジオで流れたのを今でも憶えています。丁度 不揮発性のメモリを使用した自動調整の技術を実用化した後でしたのでこのニュースに興味がありましたが、そんなメモリの用途が果たしてあるんだろうかと通勤の車を運転しながら疑問に思ったものでした。(メモリと言えば、1ビットずつ読んだり書いたりすることが出来るランダムアクセスメモリ(RAM)が主流の時代でしたし)
しかし、デジタルカメラなどの発展で、発明から 15年した今、半導体メモリ市場は大きく育ち、特にNANDフラッシュメモリは東芝の現在の半導体事業の柱になっています。デジタルカメラがまだほんの実験機に過ぎない1990年ころに、いずれ半導体によるファイル用メモリが半導体の一角をなすだろうと読んで、社内の反対に逆らって技術の改良に心血を注いだ慧眼には感心しています。
今日の写真は 赤く色付いた万年青(オモト)の実です。

2004/01/05
 
jpg画像 技術の進歩 その2 携帯電話(img81.jpg) -81- 技術の進歩 その2 携帯電話

昨日の続きで、携帯電話の技術進歩の話です。
自動車用移動電話が実用化され、家庭内のコードレスホンも普通に使われるようになっていた頃には、符号化技術や無線技術・交換機技術などのアナログ通信の基本的な技術は既に揃っていたことになります。でも、私が現在の携帯電話の世界を予想できなかった一番のポイントは電源容量の問題でした。
自動車のような、大きな電源が一緒についてくる場合や、家庭内コードレスホンのような使わないときはいつも充電状態にある装置の場合は、電源容量はそれほど問題になりません。しかし、個人が長時間外出時に持って歩くような電話の場合、何時掛かってくるか分からない電話を待ち受けるために、受信回路は電池のパワーで常に動作している必要があります。しかも 例えば 090-1234-5678に電話をかけたときに、その電話を呼び出すために日本中の全ての基地局から 090-1234-5678を呼び出すわけにはいきません。勿論基地局を順番に呼び出していったのでは、呼び出し音が鳴るまでに時間が掛かりすぎます。そのために一定時間ごとに、自分がどこにいるのか、発信しておく必要があります。
つまり、携帯電話は常時受信回路が働き、一定時間ごとに発信を繰り返している訳で、このための電力を賄う電池は普通考えるとコードレスホンとは比べ物にならない位、相当に馬鹿デカいモノになってしまいそうです。1週間旅行していても、充電しないで使える電話なんて夢のようでした。それが今や奇麗なフルカラーLCDがついてもシャープペンシル3本分くらいになってしまっています。
実は、私が会社に入っての初仕事は、カメラの電池の残量表示回路を設計することでしたから(当時のカメラは水銀電池と言う、環境に極めて良くない、1円玉2-3個分くらいの小さな電池を使っていましたが)、この電池容量の問題と言うのは、非常に興味があるテーマだったんです。
今日の写真は、寒さが本格的になって赤さが一段と増したマンリョウの実です。間もなく鳥に食べられる季節だと思いますが、まだ指で潰すと少し硬いようです。一応 千両・万両の「マンリョウ」ですから、正月に相応しいおめでたい植物なんでしょうか。

2004/01/04
 
jpg画像 技術の進歩 その1(img80.jpg) -80- 技術の進歩 その1

年末~新年になって、そうは言っても色々振り返っていて思ったことがあります。
技術の先読みをするのが私の仕事で、自分の仕事に関連していくつかは先読みが的を得ていたために面白い仕事が出来ましたが、多くは予想からかなり外れており、振り返るととてもこんなに技術が進むとは思っていなかったと言うことの方が圧倒的に多かったと思います。こうした当ての外れた技術の進歩をいくつか、思いつくままに取り上げてみたいと思います。
例えば、一番時機を得ていると思う技術に携帯電話などの、無線通信技術が上げられます。この技術は、僅か10年程前に移動電話が実用化されたときにすら、とても現在の大きさで 一人1台の時代が来るとは私は予想しておりませんでした。女子高生にポケベル(今や死語ですね)が受け入れられたときも、なにか別世界の出来事のような気がしていましたが、瞬く間に現在のケータイの普及に移り変わってしまいました。確かに今から考えれば当時のポケベルの技術とか、コードレスホンの技術の延長線上にケータイの技術が読めたはずですが、残念ながらそんなことは考えもしませんでした。もしこれをある程度読んでいれば、私の人生が変わっていたかもしれない、そんなことすら考えてしまいます。
今日の写真は、元旦の写真に続いて、春の息吹で銀杏の芽です。小枝の先に堅い芽ながらしっかりと新芽が春の準備を整えています。

2004/01/03
 
jpg画像 正月の夕空(img79.jpg) -79- 正月の夕空

我が家は今日から、正月明けモードでした。
お父さんはもっぱら出勤、通学のアッシー君です。
年末に、このページを記入している cgiプログラムのバグの指摘がありそれを 約1日掛かりで修正して、ついでに若干の機能改良を施しました。その顛末記をまたアップしました。詳細はそちらをご覧下さい。
アッシー君のついでに、空を見上げていて気付いたのですが、ほぼ午後一杯、同じ所に同じ形の雲が浮かんでいました。他の場所はいつも通り時間と共に変わっていくのに、この雲の細長い部分だけはここにずーっとこの形で出ています。風も殆ど無かったのでたまたま、地形の関係か何かで、ここにはこんな雲が出やすいのかもしれませんが。
昨日「今年の正月は何も無く明けた」と書いたばかりですが、何も無ければいいなと思いつつ、ちょっと気になったので写真をアップしておきます。


2004/01/02
 
jpg画像 明けまして(img78.jpg) -78- 明けまして

明けましておめでとうございます。
去年はイラクの戦争や年末のイランの大地震で5万人近い人が亡くなったり、物騒な事件が次々起こされたりと世紀末的な世相だったのに対して、年が明けたら小泉首相の靖国神社への初詣以外、大きな出来事も無かったようでまずまずの新年が訪れたようです。私は家族に一郎さんがいることもあり、家で普段とおりの休日を過ごしております。
皆さんから頂いた年賀状や新年のお笑い TV番組などを見ながら、のどかなお正月です。今年はこの e日記のテーマを何から始めようかなどと思いつつすごしました。
とりあえず、今年もよろしくお願い致します。
(庭を見ると、寒い中 春の準備は着々と進んでいます。今日の写真は葉っぱの芽が出て膨らみ始めたボタンの木です。)

2004/01/01
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