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from 2003/10/ 5e日記風独り言e日記の起源

2003年12月の e日記です。

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jpg画像 大晦日(img77.jpg) -77- 大晦日

いよいよ2003年も今日でお終い。
私にとって、今年は激動の年・・・と普通の人は言うのでしょうが、2003年が終わって2004年になっても、365分の1、昨日が今日になっただけというのと同じで、変わったと言えば変わったんですが、それほどでも無いと言えば無いんです。
何時の頃からか、人生を冷静に見るようになった頃、やはり自分は自分らしく生きるしかないと達観・・・・と言うほどではなく、居直りかもしれませんが、そう思ったころからある程度は予想していたことだったような気がします。
それでも、やはり回りの色々な方に迷惑をかけて、少なからず影響してしまっただろうことは心に引っ掛かっています。好むと好まざるとにかかわらず、期待していただいた方たちを裏切ったことになりますから。と、家族と紅白を見ながら1年の総括をしました。
来年は本当の意味で大変な年になると思いますが、自分らしくの部分は変えずに生きていくと思います。来年もよろしくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を。
(写真は、1年のお終いのそれらしいものと見渡してみましたがなかなかそれらしいものが見つかりません。先日の雪の日の朝の景色の一枚です。霜の朝の最後の一枚の葉っぱが落ちた後です。)

2003/12/31
 
jpg画像 色紙の裏張り(img76.jpg) -76- 色紙の裏張り

今日は半日、嫁さんのお手伝いで、色紙の裏張り作業でした。
非常に薄い和紙に書いた絵を、色紙やハガキに貼り付けるのですが、すぐに破れてしまいそうな紙を、薄くのばした糊で貼る作業ですから破れたりしわにならないように細心の注意が必要です。
でも、一回毎に要領を覚えて来て、色々工夫して結構うまく貼れるようになりました。絵が得意な嫁さんも、こうした細かな作業は大の苦手で自分ではやろうともしません。もしかして、定年後は表具師になれるかも????
そのうちに、自己流の貼り方をアップしようかとも思っております。
多分、こんな作業は他の人は殆ど用が無いとは思いますが。

2003/12/30
 
jpg画像 年の暮れ(img75.jpg) -75- 年の暮れ

今日は一日、大掃除 ・・・と言うか 中掃除くらいでした。
一応、普段の掃除+電灯の笠+タンスの上 など少しそれらしい掃除をしましたので、普段と違う身体の使い方で結構疲れました。
今日の写真は、2日前の雪景色ですが、ナンテンの葉に積もった雪です。雪の下に赤い身が隠れていますが、雪が落ちると同時に雪で食べ物が無くなった鳥達が一斉に実をついばみ始め、あっと言う間に奇麗になくなりました。

2003/12/29
 
jpg画像 年賀状書き(img74.jpg) -74- 年賀状書き

会社が休みになったので、例年の年末の恒例行事、年賀状書きを昨日・今日としておりました。嫁さんが 四苦八苦して書いた俳画をスキャナで取り込んで、色補正やらレイアウトを構成して文字を張り込み、夕方やっと印刷が終了しました。今年は休みの関係で、いつもより 1-2日ほど早く投函できました。元旦に届く方は少ないと思いますが、例年、年賀状の代表的な紙面をHPにアップしておりますので、今回も年明け早々にアップ予定です。こちらもお楽しみに。
今日の写真は、昨日に続いて 昨日朝降った雪の景色 その2です。
朝遅く起きると 4cm程積もった雪で、道路を除き辺り一面真っ白でした。でもその後の暖かな日差しで日陰を残して、一日で殆ど溶けてしまいましたが。

2003/12/28
 
jpg画像 集中力について(img73.jpg) -73- 集中力について

これまで能力の要素として想像力を取り上げました。今日はもう一つの要素、「集中力」について考えてみます。いわゆるぬきんでた能力と言う場合、その能力を生み出す要素は、今まで述べたような脳の構造的なものから来る思考の仕方と、もう一つ絶対に必要だろうと思う要素は 「集中力」です。
おそらく、ぬきんでた能力を持った人と同じような考え方をする人は結構いるのではないでしょうか。「それは俺も考えた」。成功した人の話を聞いて、それが特別のことではないと言わんばかりに自分を主張する人がよくいます。でも彼はそうした成功を成し得なかったのです。もし仮に彼も本当に同じように想像力があって同じように考えたとして、その想像を具現化し得た/成せなかった、その差はその考え方を具現化する過程で発揮した集中力の有る無しでしょう。ちょっとした思い付きで過ぎてしまったのと、本当にそれを深く考え、実現方法や実現した後の姿を思い描くことの間には、雲泥の差があります。何十回、何百回とそのことや周辺の可能性を考え、反芻し、その中から一つの可能性を見出すには途切れない集中力が必要だと思います。
よく、大きな発見や発明をした人が、そのアイデアが浮かんだときは、机の前に座っていた時ではなくて、食事中だったり、入浴中だったり、あるいは就寝中だったりしたと述べています。これは決してその時だけの脳の仕事ではなく、むしろ何十何百の可能性を 極限まで集中して考えて近傍同士の脳細胞が高エネルギー状態になった脳が、考えることを中断して緊張が解けた瞬間、全く別の遠くの回路からの刺激を受けることでトリガーがかかり、それまでの緊張状態とは全く異なった発想が行われるのでは無いでしょうか。私の数少ないそうした経験も、やはり入浴中と就寝中でした。
今日の写真は、土曜日突然の雪景色となった藤野の景色です。

2003/12/27
 
jpg画像 シナプスの繋がり方(img72.jpg) -72- シナプスの繋がり方

芸術家の能力が神経線維の間のシナプスのつながり方によるものではないか、そして商品の企画者にも同様の能力が必要とされると言う話をしました。
私自身のことで恐縮ですが、これもシナプスの繋がり方のなせる技ではないかと思うことがあります。それはモノを考えるプロセスの話ですが、例えば私は人と話をしていて何かについて説明しなければならないとき、説明している事柄の回りに存在するいくつもの事柄が同時に思い出されて、それらを次々に説明しないと気が済まなくなってしまいます。聞いている人からすれば、一本に繋がったシンプルな話のほうが余程理解しやすいと思うのですが、「こんなことも、あんなこともある。」と関連して思いつくことを全て並べてしまうのです。しかも枝葉の部分の説明に更に枝葉が生じてしまい、話している自分ですらその説明が終わったらどこに戻ればいいのか分からなくなってしまうほどです。とにかく連鎖反応的に、同時にいくつものことを考えてしまうのです。
よく「お前の説明は長すぎて分かりづらい」と言われるのですが、自分でもそれは意識していますが、話しながら頭が勝手に次から次に別のことを考えていってしまうのですから、どうしようもありません。それに比べるとこうして、文章にすると言うのは、喋るのに比べれば進行もゆっくりですし読み返しながら進められるだけに、さすがにそんなに寄り道はしません。「話はわかりづらいが、文章を書かせると別人のようだ」と言われたことがあります。多分私の頭の神経線維を繋いでいるシナプスは、近傍の繋がり方はかなり疎である代わりに、とんでもない遠くの方に迷子のように繋がっているんではないだろうか、そんな風に考えることが良くあります。
そして、物心ついた頃からずーと興味がそのような指向をますます加速する方向にしか無かったために、シナプスの繋がり方もそうした思考に都合の良い繋がり方の部分だけが伸ばされてきたような気がします。
今日の写真は、長く伸びた影によって「冬」を感じさせるというテーマの2枚目です。近所の小学校の校庭の庭の桜の老木の影です。枝が脱落する危険から、殆どの枝を切り落とされた老木の形とその影は、季節の冬と生物の冬の両方を感じさせてくれます。

2003/12/25
 
jpg画像 やってしまいました (^^);;;(img71.jpg) -71- やってしまいました (^^);;;

昨日の休み、子供部屋の天井の蛍光灯が切れたと言われていたので新しいランプと交換しようとしたのですが、丁度年末ですし笠も奇麗にお掃除して、さて天井に戻そうかと椅子に乗った時、椅子がキャスター付きだったのでほんの僅かバランスがずれて、椅子が動いてしまいました。そのときはうまく飛び降りたつもりだったんですが、手にはまだ蛍光灯器具を持ったままで自由が利かなかったこともあり、椅子にスネがぶつかってしまいました。
そのときは別に痛いとも思わず、そのまま忘れていましたが、2時間ほどしてから立っていると何となく膝の辺りが重い感じです。何となく触るといつもの足の感じと違います。ズボンを上げて見たら、ポッコリ盛り上がってかなり立派な打撲傷でした。しかもまだ成長中で、それから1時間ほどすると更に腫れが酷くなり、立っているのが辛いほどになりました。慌ててシップしてなるべく立たないように(立つと血が下がって痛みも増します)して、一応入浴はしたんですが、そのまま寝ました。翌日(今日)の仕事も休むわけにもいきません。
今朝起きると、幸いなことに腫れは若干引いて、傷みは殆どなくなりました。普段より若干遅い出社でしたが、一日無事勤められました。と言うわけで、とんだクリスマスイブでした。
今日の写真は、冬至も過ぎましたが太陽が最低点に達し、影の長さが1年間で一番長い季節です。やはり単に日暮れで影が長く伸びた光景とはチョッと違う気がします。そんな季節の雰囲気が出るような写真を自分の影で演出してみました。

2003/12/24
 
jpg画像 好きこそ・・・・(img70.jpg) -70- 好きこそ・・・・

前回まで、芸術家の想像能力について述べました。
それではこの能力の違いは何によってもたらされるのでしょうか。生まれつきなのか、後天的なものなのかとか、更には後天的だとしてそれはどうすれば身につくのかと言う事が知りたくなります。私は脳外科は勿論、教育の専門家ではありませんのではっきりは解りませんが、間違いを畏れずに言うとすれば、こうした能力が備わるためには先天的・後天的の両方の条件が揃うことが必要だと思います。
以前に述べたモーツァルトの例がそのことを良く表しています。モーツァルトは宮廷音楽士の子供として生まれたものの、3歳で姉の弾くクラビーアの3度の和音を弾き当てたと言うほどの才能が備わっていたそうです。また、彼の家系は芸術家が多く輩出している事から、彼くらいの才能は、やはり先天的な能力が大きいと思われます。
しかしその一方で、彼の父親は宮廷音楽家だったことから、彼が物心つく前から姉にクラビーアを教えていたようで、それを横で聞いていた彼は、後天的にも音楽的才能が備わったと考えられます。
でも、私は更に もう一つの才能「好き」を重視しています。「好きこそものの上手なれ」という諺通り、いくらその環境に置かれても嫌いなら雑音にしか聞えない音楽も、好きなら沁み込むように音が吸収されていくのでしょう。
今日の写真は、庭にびっしり立った霜柱です。

2003/12/22
 
jpg画像 作家も想像力そのもの(img69.jpg) -69- 作家も想像力そのもの

音楽家と画家の想像力について書きましたが、作家についても同じ事が言えるでしょう。
小説などフィクションは、想像力に基づく創造力の賜物そのものです。現実世界の何らかのヒントがベースではあるものの、そこに展開されるシーンは登場人物の性格がどうでどう思ったか、その結果どう行動したのか、作品はそうした想像の中からしか生まれてこないでしょう。
このように、芸術作品は全て想像力が基本になっていると思います。そしてこの想像力ほど個人差のある能力は無いのではないでしょうか。この差はどこから来るのか・・・・やはり、シナプスがどれくらい遠いところの神経細胞とつながっているのかと言うことだろうと思います。
そして、イチローの脳もそうでしょうが、その繋がりを練習などで繰り返し使うことでその回りの繋がりが発達した結果、一層他の人の能力と差が出てしまうのです。
今日は、晴天ながら一日強い北風が吹き荒れていました。この寒い北風を何とか写真に撮ろうと思いましたが、なかなか風は思うように吹いてくれません。本当はもっとナンテンの枝が海老のようにしなったところを撮りたかったんですが、カメラのシャッタータイムラグも邪魔してこの程度しか撮れませんでした。

2003/12/20
 
jpg画像 ベートーヴェンは・・・ その3(img68.jpg) -68- ベートーヴェンは・・・ その3

芸術家の能力に関する話の続きです。
作曲家の想像力・創造力に付いて書きましたが、画家についても同じようなことが言えると思っています。
凡人は、見たままに絵を描くのすら難しいのですが、画家は目に見たシーンをベースにして、あるものは色や形などで強調し、あるものは削除したりボカしたりして、見た人がより感動するようにデフォルメします。こうして描かれた絵は、実際のシーンより余程見る人の心を打ちます。画家も、目の前のシーンをヒントに、実際に真っ白なカンバスにどのような形で、どのような色を置いていけば見る人の心を動かせるのか、想像できるのでしょう。
このように、人間の想像力は実在のものよりも多くの人の心を動かすという素晴らしい力を持っています。この想像力を生み出すことが出来る脳細胞の構造とそうでない構造の差は、シナプスの接続の仕方だろうと思えるのです。
今日の写真は、会社帰りにFujino駅の広場で撮影した、寂しいクリスマスツリーのイルミネーションです。長時間露出でしたが、手持ち撮影にしては、ブレずに撮れました。

2003/12/19
 
jpg画像 ベートーヴェンは・・・ その2(img67.jpg) -67- ベートーヴェンは・・・ その2

ベートーヴェンの能力の話の続きです。
では、私がその音楽家と商品企画者の何に共通点を見出しているかと言うと、商品(サービス)を企画する人は、世の中の技術・仕組みなどを見て、それらをどのように発展させながらお互いに繋げてどのように見せれば人々が喜ぶか、その姿を想像できるのだろうと思います。そしてそれに対して、人々はどれくらいの費用なら払ってくれるのか、そこまで判断しているのでしょう。彼はその想像を膨らませて、企画書を書き上げるのです。つまり、作曲家も商品プランナーも、創造力の根底にあるのはまず想像力であるという共通点があると言うことで、これはおそらく画家や小説家などにも言えるのではないでしょうか。
で、問題は演奏家です。その企画書を見せられた人々は、その企画書が作り出す価値、その価値によるお客様の喜びを想像できなければいけませんが、完成した楽譜すら満足に解釈して演奏できない演奏家がいるのと同様、その価値や受け入れられ方を想像できない人が多いのです。どんな素晴らしい楽譜も有能な演奏家によって正しく演奏されない限り、一般聴衆の感動を呼び起こすことは難しいでしょう。と同様に、どんな価値のある企画書も、優れた評価者(パトロン)、賛同者がいないと紙くず同然になって埋もれてしまいます。
そして企画と音楽の決定的な違いは、普遍的な音楽なら例え百年眠っていても、幸運に恵まれて発掘されて脚光を浴びることもあるでしょうが、技術や社会構造をベースにした企画書は、1-2年もすればその価値が廃れてしまうということでしょう。
(ここまで、忘年会帰りに電車の中で打ってアップしています。変なおじさん?)
今日の写真は、ちょっと前になりますが、霜の朝に撮った銀杏の木の散り残った葉っぱです。

2003/12/17
 
jpg画像 ベートーヴェンは耳が聞えなくとも・・・(img66.jpg) -66- ベートーヴェンは耳が聞えなくとも・・・

「バカの壁」の続きです。
ピカソが空間認識を自由にコントロールできたから、あのような抽象画が描けたのではないかと言うのが本に述べられていた前回の説明でした。これに対して、以前から私が考えていたのは、画家と同様作曲家の能力に付いてです。よく言われますが、ベートーヴェンは晩年耳が聞えなくともあのような素晴らしい交響曲を書いたのです。
凡人は彼が完成させた楽譜を見てすら、それがどんな素晴らしい音楽かを楽譜から知ることは困難です。しかし、彼は全くの白紙の状態から僅か 10数種類の音符を、僅か5本の線の間に一つ一つ置く単純な作業の結果が、聴衆の絶大な精神の高揚や安らぎ、喜び、深い瞑想といったような心の振舞いを想起するだろうと言うことを想像できたに違いありません。完成した楽譜を渡されても尚、一つの楽器の、一つのフレーズですら満足に演奏できない人がいる一方で、何種類もの楽器の全てのパートがホールにハーモニーしたときの感動を想像から創造へと音符で具現化する能力とは、単純な頭が良い/悪いとか、緻密とかいったような脳細胞のベーシックな構造の問題ではなく、聴覚から全ての感覚に至る神経細胞のつながり方、信号伝達の仕方の違いであるとしか思えません。
今日の写真は、霜に濡れたサザンカの花びらが朝日に光っているシーンです。

2003/12/16
 
jpg画像 バカの壁 その3(img65.jpg) -65- バカの壁 その3

何日か前に書いた「バカの壁」の続きです。
もう一つ、この本に書かれていることで共感したことがあります。それはピカソの能力に関してです。晩年のピカソは常人から見たらとてもおかしな絵を書いています。人の横顔と正面の顔が一つになったような画があります。この本では東京女子医大教授の岩田誠さんが行った分析を紹介しているのですが、無理やり正面や側面などあちこちをくっつけたのではなく、これはピカソは空間配置能力を自分で自由にコントロールできたのではないかと言うことで、普通の人には出来ない事だそうです。
実は、私も芸術家の能力と商品企画者の能力の類似性を比べてみたことがあり、その時に同じようなことを考えたことがありました。
それは、芸術家でも作曲家についての考察ですが、中身はまた明日にでもご紹介します。
写真は、日没時の残照をバックに散り残った銀杏の葉っぱと幹をレイアウトしてみました。 結構面白い写真になったと思います。本当は TVのアンテナや電線がうるさいので何とか外したかったのですが、それぞれの位置関係から無理でした。また、銀杏の葉っぱの光っているような色合いも再現しようとしましたが、露出補正だけでは空の色などが飛んでしまって面白くなくなってしまいます。いつか時間があるときに画像処理でやってみようと思います。

2003/12/15
 
jpg画像 ソバ食いの旅(img64.jpg) -64- ソバ食いの旅

昨日から親しい友人 HさんとAさん3人で、お互いの 1年間の垢落しで駒ケ岳山麗にソバ食いに一泊で出かけました。
蕎麦屋さんは 駒ヶ根市赤穂の「丸富」、昨日の昼は ざるソバと地鳥ソバを満喫して、夜は近くのホテルの温泉に浸かって旧交を温めました。
昨日は晴れてはいたものの、山の天気は気難しく一時雪の舞う天気でした。
ところが今朝起きると満天に一点の曇りも無い快晴で、昨夜の新雪で冠雪を頂き駒ケ岳が青空に光って、それは素晴らしい景色でした。
よく見ると、空の高いところに半月が掛かって駒ケ岳に向かって沈んでいくところでした。

2003/12/14
 
jpg画像 バカの壁 その2(img63.jpg) -63- バカの壁 その2

イチローの脳の中の情報の伝わり方は、視覚入力から運動への出力までがかなりバイパスしたつながりになっているのではないかというのが、昨日の説明です。
では、私が予て考えていたことというのは発想能力についてです。運動能力と同じように人間の発想能力にはかなりの差があるように思います。新しい発想が生まれる人と生まれない人の差は何によるのだろうと考えて、到達したのがやはりシナプスのつながり方です。多分発想力のある人というのは、シナプスが近傍だけでなく少しはなれた所とつながっていて、何か問題点やニーズがあるとそれが刺激となって脳に入力され、それが回りの神経細胞に伝わっていく。その伝わっていく過程で、今までの経験で記憶していた情報にぶつかり、「こんな方法がありそうだ」と思いつくのだと思います。それが発想力の無い人は極めて近傍の神経細胞の間だけでしか伝わらずに、やがて刺激が消滅してしまう。しかし発想力のある人は、シナプスが遠くの神経細胞につながっているために、刺激が色々な部分に広がり、より広い経験・記憶領域を刺激する結果「ひょっとして」と考えることになる。そしてそうした繰り返しの結果、刺激は消滅することなく、次から次へと転送されていき、やがてとても優れた発想になっていくのではないでしょうか。
でも、やはり人間の能力というのは一長一短があります。このようにシナプスが遠くの神経細胞とつながっている人は、往々にして近くの神経細胞とのつながりは疎になっているようで、「ポカミス」が多かったり大事なことを忘れたり、普段の生き方、世渡りは余りうまくありません。
どう考えても私はこの部類に入るような気がします。役立つ役立たないは別にして、発想だけはあまり回りの人に負けないような気がしますが、肝心なところが抜けていたりして、回りに大変な迷惑がかかっているようで気が引けます。
今日の写真は、やはり日曜日に撮影した朝霜の風景です。朝日が生垣の隙間から真横に差し込んで、散り敷かれた銀杏の葉っぱを照らしていました。

2003/12/11
 
jpg画像 バカの壁(img62.jpg) -62- バカの壁

養老孟司という人の書いたバカの壁という本が売れているようです。イスラム原理主義者と米国資本主義者はなぜ話が通じないのかというような壮大なテーマですが、私は話題になる前に偶然、本屋でヒマなときに面白い題名に引かれて買っておりました。3分の1程度を読んで、そのままになっていましたが、話題になったこともあってちょっと時間が出来たときは継ぎはぎで読んでいます。
脳の構造・働きについて書いているのですが、その中に、以前から私が感じていたことが殆どそのまま書いてありました。
それは、イチローの脳と凡人の脳の違いについてというようなことです。昔から言われていましたが、人間の脳の大きさとか皺の数(=表面積)とかは頭の良し悪しには殆ど関係無いということです。従って、イチローの脳も凡人の脳も大きさ、構造は変わらないだろうというのです。では何によって彼はあのように天才的な瞬間の判断が出来るのかということを説明しているのですが、「反応が早い」= 神経の伝達スピードが速いとなりそうですが、さにあらず、神経の伝達スピードは化学反応で、これも個人差はなく大体音速と同じくらいだというのです。では何が違うのか? それはシナプスという神経線維の接続の仕方が違っていて、ある部分をバイパスするような構造になっているということです。そして、目で見たシーンが脳の中を通常の経路ではなく、かなりバイパスして凡人より早く腕の筋肉に到達する結果、ピッチャーが投げたボールが手元まで達する間のボールの軌道を見てそれに応じた筋肉の制御が可能になるのだそうです。
ここまでは養老先生の解説で、私の感じていたことは・・・長くなったので明日に回します。
写真は、先日の朝霜の光の中のバラの花です。青空をバックでしたが、何とか露出も合ったようです。

2003/12/10
 
jpg画像 朝霜 その2(img61.jpg) -61- 朝霜 その2

昨日は日曜日の朝の霜の写真を掲載していましたが、今朝は一段と冷え込んで本格的に霜が降りて、一面真っ白でした。
でも 今日の写真は、日曜日に撮りためた 一枚です。
朝日が当たり始めて、近くの神社のたたずまいが煙ったように見えました。雰囲気は小さくリサイズしたこの写真でも感じていただけるでしょうか。

2003/12/09
 
jpg画像 朝霜(img60.jpg) -60- 朝霜

朝霜というのは多分、季語でしょう。
昨日書いたように、朝霜が降りて、その霜が朝日で溶けてきらきらと光ってとても奇麗でした。近所を 小一時間回って写真を撮りましたが、まずその一枚目です。
ブルーベリーの紅葉した葉っぱに、夕方くもの巣が張ったのでしょう。そのくもの巣に霜が降りて、溶けて水滴が朝日に光っていました。背景の水墨画のような景色との対比がとても妙です。

2003/12/08
 
jpg画像 早起きは・・・3枚の得(img59.jpg) -59- 早起きは・・・3枚の得

週末、疲れが溜まって土曜日は昼寝三昧ですが、お陰で日曜日になると年のせいもあってか朝早く目がさめます。
特に天気の良い日に、朝日が窓に当たり始めると寝ていられなくなります。今日は正しくそんな日でした。一人で起き出して窓を開けると、目の前は数日前と同じ、雲海でした。湖の暖かな水から昇る水蒸気が、夜の間に放射冷却現象で冷えた空気に触れて、霧になるようです。
更に、既に溶けてはいるものの今朝は霜が降りたらしく、木の葉の上に細かな水滴が付いて、朝日にあたってきれいに光っています。
そんな景色に誘われて、小一時間近所を写真を撮って回りました。3枚くらいはいい写真が撮れたでしょうか? 今日の写真はその中の1枚・・・と思っていましたが、夕方気付くとまた筋雲がくっきりと西の方角に向かって出ていました。ということで、朝の写真は明日以降に取っておいて、今日は筋雲の空の写真です。

2003/12/07
 
jpg画像 通勤プログラマー(img58.jpg) -58- 通勤プログラマー

このところ、Visual Basicのプログラムが佳境に入り、毎日通勤の電車の中でも時間を見つけて「変なオヤジ」をやっていました。
お陰で、ちょっと疲れ気味です。
この土日を利用して、一応の機能を完成させようと思っていますが、体力が続くかな?
写真は 2-3日前の 昼の散歩の続きです。

2003/12/05
 
jpg画像 本格的寒さ(img57.jpg) -57- 本格的寒さ

冷夏の後が、暖かな秋で紅葉が遅れていましたが、やっと寒さが本格的になってきました。
例年は、12月になると コートが欲しかったような気がしますが、昨日くらいまではコートが無くても、それほど寒さは感じませんでした。でも今朝は、中央線の強すぎるくらいの暖房が気持ちよかったです。
今日の写真は、そんな寒さで一変に濃く色付いて、やっと枝にしがみついているモミジの葉っぱです。9時過ぎに帰宅したときに、寒い中玄関の明かりに赤いモミジの葉っぱが照らされて、くっきりと浮かび上がってきれいでしたので、カバンから思わずカメラを取り出しました。

2003/12/04
 
jpg画像 昼休みの散歩(img56.jpg) -56- 昼休みの散歩

何日か続いた雨がようやく上がって、快晴の天気でした。
風も季節の割に暖かく、ワイシャツで外に出ても丁度よい加減の気温でしたので、昼休み ちょっと遠出してセンター南駅近くのインド料理店でカレーを食べました。その帰り、公園の木の葉が見事に紅葉していましたので、ゲートボールをしているお年よりの声をバックに、何枚かパチリパチリとやってきました。
紅葉の写真は、色だけで充分作品になってしまいます。自然の素晴らしさですね。

2003/12/02
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