e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録です。
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-539- 人間の業・技術屋の業
未曾有の天災に襲われたが、特に福島原発を見ていると、あれははたして天災なのか人災なのかという疑問が生じてきた。
現役時代、技術屋として約40年間仕事してきた者として感じていることがある。
その1: 人間なら誰しも自己実現欲求としてやってみたいことがある。およそ技術屋・科学者という人種は自分のアイデアを実現したい、理論を確かめてみたいと強く希求する。実現に当たっては多くの場合効果とリスクのせめぎあいになるが、どうしても自分では効果は過大に・リスクは過小に評価しがちだ。私に限らず、周りに多くのそうした技術屋や科学者の姿を目にしてきた。
問題はそのリスクの質だ。経済的な損失で済むのか、人命や安全、多くの人の生活を損なう可能性を含むのかによって、リスクをリスクとして残していいのかどうかが変わってくるのではないか。
諸外国に倣って原発で電力を賄わなければならないと考えた時、当時の研究者は当然、己の研究を実現したいと強く思ったはずだ。それが実現すれば、電力は安く安定的に供給でき、人々の役にも立てると。しかし、そこに「想定外」の危険が潜んでいないか徹底的に洗い出し、その検証をする必要があったはずである。「何か」が起きた時「想定外」等と言う言葉で逃げられる結末ではないことは当事者なら十二分に承知していたはずである。
そしておそらく、時の資本や政権の側もその研究者をそそのかして利益の分け前にあずかろうと、徹底的なリスクの検証を求めなかったのではないか。先進諸外国には稀な地震と言う決して設計できない自然の力という落とし穴がそこに厳然としてあったのに。
残念ながらそのことの傍証が幾つも明らかになりつつある。原発と言う最大級のリスク回避が求められるシステムで、電源のバックアップが 1種類・1系統しかなかったこと。津波の高さを最高 5mと有史以来のデータで安易に決めて、万が一の水没という事態の回避策を怠ってしまったこと。水素ガスが発生するかもしれない建屋にガス放出の仕組みすらないこと。幾つものリスクの過小評価が今回の事態を招き、後輩達作業員のみならず日本国民全員の生命を危険に陥れ経営陣を窮地に追いこんでいる。
同じような技術屋として、多分仕事の真のモチベーションは同じようなものであっただろうけれど、そして今も心に棘のように刺さったままのリスクの自己評価が正しかったのかという自問にもかかわらず、幸運にも私の仕事が人の生命・安全にかかわることは殆ど無かったことに今更ながら感謝している。
その2はまた後日。
写真は、昨日計画停電になった夕方の街。いつもだったら手前の野球場や中学校の校庭には明明とナイター照明が灯っているはずなのに、道路を走る車のランプと遠くの停電していない町の灯りとだけの、非日常の風景。
2011/03/16