e日記風 独り言

#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
右端上端の同一カテゴリージャンプボタンで同じカテゴリーの他の記事を順番にご覧いただけます。
Access Counter:  総アクセス数

楽 天 の 商 品

-2218- OLYMPUSの映像事業
= 今日は画像なし m(_ _)m =
20年前に在籍していた標題の会社の旧知の若い人(と言っても交流があるのは十分に高齢者だが)から今年もらった年賀状に、「医療機の開発に移った」「映像事業の売却を完了して退職した」などという近況報告があった。
思い出して検索すると もう 1年前の話になるが、かつてのオリンパスの映像事業=カメラ事業が不振で本体から切り離されてJIP(=Sony の VAIO事業の譲渡再生をしたファウンド)に事業譲渡されたというニュースが流れていたことを思い出した。このニュースを最初に聞いた時に「いよいよ来たか」と思ったが、そのニュースを裏付ける上記のような知人たちの動向を聞いて今更ながらしんみりと昔を振り返った。
思えば、私があの会社の経営に最初に不信感を抱いたのは30年近く前になる。一つは財テクが好調だったときにはその手柄を自慢気にひけらかしていた Sm元社長が一転して山一の破綻に端を発した相次ぐ財テク失敗企業の損失発表には貝のように<あるはずの損失>を公表しなかったこと、そして当時は既に利益の大半を稼いでいたのは内視鏡などの医療機事業だったにも関わらず、Sm元社長以降の社長人事は映像=カメラ事業出身の役員に順送りされる形で行われて、それを院政を敷いた Sm元社長が(その後会長さらに最高顧問というポストを作ってまで)影でコントロールしていたことだ。例えば内視鏡事業創生の立役者のKw元専務も専務止まりで役員定年を迎えるなど、一介の社員の私ですら「何故?」というような疑問を感じていたのだから、おそらく内視鏡事業を担当して会社の屋台骨を自負してきた人達からすればそうした社長交代劇に不信を抱いたことは想像に難くない。
それが結局十数年を経て前記の Sm元社長のこしらえた巨大負債とその損失飛ばしが表面化して世間を騒がせた不祥事で 3代続いた映像事業出身の社長が責任を問われてやっと医療機分野出身の経営者に代わった。損失隠しに使われた2千億を超える穴埋め資金は結局内視鏡事業の利益が振り向けられる形になった上に上場廃止の危機を招いた経営トップに対する不満は ひいてはその経営者の出身母体で会社利益を食いつぶす映像事業部に対しても振り向けられたはずで、大株主などからの突き上げを背景に一刻も早く足を引っ張るばかりの映像事業を切り捨て「新生」を宣言したかったに違いない。
まぁ映像事業部の一般社員にとって入社後の配属先は本人の希望とは関係なく決まっていたはずで、そんな経営者の不正や判断の結果として入社したつもりの会社から無理やり切り離されてしまう若い社員達にとっては理不尽な話だ。私自身入社のときには医療機分野の開発を希望したが結果としてカメラ開発に配属され、それはそれで電子化黎明期には仕事は面白くやりがいがあったのだが、そんなことも思い出しつつ切ない回顧で新年が過ぎていった。
関連記事
2022/01/09


このページ(pdiary_2218.html)にコメント/質問をどうぞ
タイトル(30文字以内)
コメント
お名前(ID:10文字以内)
URL(HP or ブログをお持ちの方)
パスワード*
タイトル・コメント・ID は必須です
このページ(pdiary_2218.html)への今までのコメント/質問
このページにはまだ表示できる投稿がありません。

Back to Page top