e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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-1607- 付け足し
昨日まで延々と書いた「白紙に絵を描く」=想像力 の話で、もう一つ思い出したので付け足しを。
私の高校時代の2-3年は、授業以外はホームルームも出ないで殆ど放送室に篭りっぱなしの生活だった。そして特に3年の夏休み前~夏休みにかけては放送委員会の伝統でNHK放送コンテストに出場するため、アナウンスの練習とラジオ番組の製作に全勢力を注いでいた。鼻の通りのせいか声がこもって聞きづらいと自分で分かっていた私はアナウンスは訳知り顔に下級生の指導はしても自分で出場しようとは思わなかったが、番組制作は放送機器が扱えたので技術担当を進んで買ってでた。他の部員も様々な仲間がいたが、放送で知り合った親友は芸術家肌で「俺はこういう番組が作りたい」と言って台本を書いて、登場人物は部員以外にも学校の近所の小学生を連れて来たりしてその子が交通事故で亡くなってしまうという番組を作った。彼は当時「人の死を表現したい」とか言っていたが、それは私には全く理解できなかった。しかし彼は既存のシナリオではなくゼロから人の気持ちを考え、そこから自然に出る言葉を想像し、それを印象づける効果音(友人のバイクの音を録音して車の音の代わりにしたり彼が自分でピアノを弾いた?叩いた?)など全部頭のなかで番組を作り上げていった。私は彼から言われるままに機材を操作したが、徐々に作品が出来ていくのを見て彼の能力に驚いた。そして幾晩も徹夜して作ったその作品は少なくとも県大会では優勝して、全国大会にも出した。しかし学校として放送の活動はその時まで殆ど認知されておらず、番組の制作・編集に必要な機材も貧弱なものしか無かったので、効果音を流しつつ一発で放送劇を録音するのとは違い当時のアマチュア用テープレコーダの録音再生を何度も繰り返して出来上がったこの番組の音質は、小さなテープレコーダーで再生した時はあまり気にならなかったものの、県大会の松本会場でもノイズとワウフラが酷かったから、おそらく全国大会会場のNHKで再生された番組は内容はともかく音質は箸にも棒にもかからなかったんだろう。
この時、私が不思議だったのは、「人の死」という表現したいテーマがあったとしても、そんな抽象的なものからどうして彼はあんな具体的なシナリオを思い描けるんだろう? 人のセリフもだがピアノも弾いたことがない彼が何故あそこであんなピアノの音を入れることを考えたんだろう? と全てが驚きで疑問だった。
そして高校卒業後、私は当時の電電公社に就職して夜間の大学に通った。あまり一生懸命に勉強した記憶もないが昼・夜の生活だし電電から支給される交通費の足が出ないようにするには住むところはかなり制限される。大学が当時は東横線の大学名が駅名のところにあり、電話局は東京大手町だったので畢竟 住むのは東横線沿いになる。3年までは半分下宿のような部屋だったが、最終学年の時は大学のある駅から徒歩5分ほどのところにある鉄工所の2階の4畳半のボロアパートだった。このアパートはトイレは共用だったが、入り口に半畳ほどの小さな炊事場があり水道とガスもあって、小さな単身用冷蔵庫も買って置いてあった。
ここにたまに親友の彼が飲みに来た。週末に来ると必ず一緒に飲んで泊まって、翌朝起きると「何か作ってやろう」と言って冷蔵庫を開けた。私は普段外食で殆ど料理はしなかったので冷蔵庫の中はスカスカで材料と言ってもソーセージや魚肉ハムとか長期保存可能なものが僅かしか無かったが、彼はそれで結構美味しいオカズを作ってくれた。その彼の料理するときの口癖が「料理は頭のなかで味を想像して作るんだ」というもので、その言葉通り僅かなあり合わせの食材で炒め物などを驚くほど美味しく作ってくれた。魚肉ハムのステーキの味は今でも覚えている位で どうしてこんな味になるんだろう?と不思議で仕方なかった。
彼には私には見えないものが見えている・・・・何度もそう思わされた。でもその彼も大学時代にメディアへの道は断念したという。 見えない方がいいものを見てしまったんだろうか?

今日の写真は、今年3度めになるが睡蓮の花。もしやと思って昨日の朝、例の工場の脇を通ったら予想通り睡蓮の花が5つも咲いており、塀の近くにもあった。丁度池の脇の松の枝を剪定しているオジサンがいたので、断って塀の中まで手をいっぱい伸ばして撮影してきた。若干剪定された松の葉がうるさいが。
性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2016/05/20