e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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-1606- 結論
昨日まで随分迷走した話になってしまったが。
結論として、人が白紙に絵を描くことが出来るか否かは、白紙に何かを描こうとした時に、その最終的な形が頭のなかでイメージできるかどうかによる=想像力なのだろう。そう言えば、昔 ここで 作曲家や画家のことを書いたことを思い出した。
モノづくりでもアウトプットの形やそれを使った人の感動、あるいはそれを作るためのプロセス~大量生産なら製造までのあらゆるプロセスを含めて、がイメージできる人と、細かな説明を聞いてさえ目の前にその形を見せられないとその価値を信じない人、見せられてもなお価値を理解できない人、世の中の人の能力は実に様々だ。
また、ある得意分野では卓越した能力を示す人でも違った畑では全く能力の片鱗もない人だっている。
私もモノづくりならそこそこ想像力が働くと思っているが、一方でよく夕食の買い物を頼まれて近くのスーパーに行くが、作る料理を聞いて、必要食材を聞いて出かけるのに、帰ってきた時には忘れたり見当違いの食材を買ってきてしまったりする。「どんな料理だったか思い出せば分かるでしょう?」と詰問されるが、ごく簡単な料理でも名前を聞いただけではその料理を頭でイメージすることは殆どできないし、買い物しながら料理を考えるという習慣もない。料理名という抽象的な言葉から料理の画像を「イメージする」というのは、長年それに携わってきた人が自然に身に付ける部分もあるだろうが、男や女などもっと根源的に持って生まれてくる能力もあるに違いない。
私にとって、ものを作るというのは少なくとも小学校の時代から普通の事だった。年上の子が木を削ってスクリューを付けゴムを掛けて船を作って遊ぶのを真似てよく遊んだが、ある時雑誌か何かで「水中翼船」という写真を見た。船体の水の抵抗が減るから高速になるという説明がついており、船底の構造までは写っていなかったが船体の横から大きな水しぶきを上げて進む写真は格好いいと思った。学校の工作か何かでこれを思い出して、町の模型店で買ったバルサ材を使って、船底に柱を立てその先にスクリューを付けてゴムを掛けた。あんな水しぶきが上がるにはどんな翼があれば良いのか? あれこれ考えながら作った。実際に出来た模型を水に浮かべたが(今考えれば当然だが、船体のほうが重いので)横倒しになってしまい写真のようには進まない。推力が足りないのかとゴムの巻を強くしたらバルサ材は敢え無く折れてしまった。仕方なく接着剤で補修してゴムは外して形だけ提出したが、先生が一人随分感心してくれたことがあったような気がする。
中学になって、興味はラジオや電気に移った。模型とは違い動作が目に見えないのに真空管やら抵抗やらくっつけてラジオを作ってしまう先輩はすごいと思った。図書館で本を借りて勉強し、自分で最初に作った鉱石ラジオの音を、今度はスピーカーで聞きたいと、3球のモノラルアンプを作ったが、ハムノイズがすごくてとても大きな音では聞けない。本を読むと入力段までは電源ノイズを遮断するシールド線というのが必要らしいと分かった。でも田舎の町の電気屋にはそんなコードは売っていなかった。本によるとシールド線とは信号線を細い電線の網のようなもので巻いてあるらしい。仕方ないのでトランスを解いた細いエナメル線を太めのビニル線の周りにグルグル隙間なく巻いたらノイズは激減した。それを次の夏休みの工作の宿題で出したが、模造紙の説明には回路図しか書かなかった。それを見た理科の先生がこれはなんだと聞くので、シールド線の代わりだと話すと、他のことは良いからそう言う工夫した点を説明に書くんだと教えてくれた。
そんな思い出には事欠かないくらい、あの頃の雀の涙ほどの小遣いは全部町の模型屋に吸い上げられていたと思う。想像力にはカネがかかる。

今日の写真はカラタネオガタマ。この花はなかなか写真を取るのが難しい。開いた瞬間に花弁(ガク?)の何枚かは落ちてしまうので、全部が揃った写真はなかなか撮れない。
性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2016/05/19