#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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-2387- 訃報 = 今日は画像なし m(_ _)m = | |
もう先週末の話だが、突然訃報が届いた。 相手は大学時代の同級生 <今>氏。実はその彼からは今年 珍しく年賀状が来ないで 2月頭に寒中見舞いが届いて、そこに「視力が落ちて免許更新が叶わなかった。最後になるかもしれないから同級会を頼む」とあった。 免許更新できなかったからと言って、そんなに落ち込むかな? と思ったが、どちらかといえば豪放磊落な感じの男が「最後になるかも」なんてやけに弱気になっていることが気になって、即 電話した。 しかし携帯も家電も繋がらない。最初は「電話したのはコロナ前の同級会のときくらいだから、電話帳に登録してなくて迷惑電話と思っているのかな?」と思ったりもしたが、2回ずつ 3日かけても繋がらず、最後は家電兼用の Faxに連絡を入れたがそれでも何の反応もなかったのでますます心配になった。そうしているうちにふと、卒業後彼と一緒に仕事していたことのある別の同級生<横>氏なら近況を知っているかと思って、そちらに電話してみた。こちらも最初携帯にかけたときは出てもらえず、事務所兼用になっているであろう家電にかけたら奥さんが出てくれて、連絡してくれたようで電話が来た。 彼曰く「彼とは1月に会ったよ。少し老いぼれてはいたが、そこまでじゃないと思うよ」と教えてくれたので、それなら「暖かくなってから同級会をやろう」と話してその場は終わった。 それからわずか半月後の訃報だった。奥さんからのその訃報によれば、私が電話した 3日後に亡くなったらしい。ということはあの時はすでに入院中で、奥さんも付き添いで不在だったんだろうと推測。 同じ工学部でも彼は建築科で私は電気科だったが、当時の都立大学の夜間は 工学部総勢 40人程度の少人数で(当時の入試の競争率だけは 20倍近く、ある意味最難関と言われた!)教養課程は全学科一緒に授業を受けていたし、時まさしく 大学紛争の真っ只中。入学したけれど、10日ほどした頃に教養課程の校舎は他学の過激派によって大学封鎖されてしまい、12月末に再開するまで授業はなかった。 一部には過激派に傾倒した同級生もいたようだが、ほとんどの同級生は いわゆる「ノンポリ」でただただ授業再開を待つしかなかった。と言うより皆 夜間だから昼間はアルバイトや仕事をしているし、10日やそこいらでは顔と名前も一致しない同級生も多く、その後も封鎖解除されてから 1年チョットの一緒の教養課程の授業で、当時ですら顔を覚えているのは 20人もいなかったと思う。 そんな中で、私も性格柄か 同じ学科よりも他学科の同級生の方が親しい同級生が多く、彼もその中のひとり。気軽に電話できたり、同級会で盛り上がっての帰りの電車も同じ方向でよく二人で話をしたものだ。 酒が入るとお互いの幼少期の話になって、夜学に通ったくらいだからお互い貧しい育ちだったし、彼は浅草の花街(吉原?)近くで育っていて、仕事をしているお母さんに代わって「小さい頃は花街のお姉さん達によく遊んでもらった」などと聞かされた。専門課程に進んでからは学部が違って教室も離れていたので顔を合わせることも減ったが、たまに授業が終わったときに会うと、彼の学校近くのアパートに誘われて何度か飲みに出かけた。彼は話のとおり早熟な子供時代を送ったらしくその時にはすでに美容師をしていた幼なじみの奥さんと結婚(同棲だったかな?)していたのだが、狭いアパートにはいつも4~5人の同級生がすでに奥さん交えて宴会の最中で、中にはそのまま酔いつぶれて雑魚寝してしまうヤツもいたようだ。幸い当時私は歩ける範囲のもう少し駅近の安アパートに住んでいたし、翌日の勤務もあったのでそこまでお世話になったことはなかったが、かまやつひろしの「我がよき友よ」の歌詞を彷彿とさせるような男だった。 そんな男が飲むと「お前が家を建てるときは言ってくれ。俺に設計させてくれ」と言い、その後歳取ってから彼は大規模開発のマンションに入居したので「俺は結局自分の家すら設計できなかった」と嘆いていた。私も彼の言葉を忘れたわけではなかったが、最初は中古住宅を購入し、その後は戸建てには手が届かずマンション暮らし、最後は長野県に家を建てたのでついに彼に設計を依頼することは叶わず・・・とすこし後ろめたい気を禁じ得ない。 などなど 忘れることができない思い出に事欠かない男で、「もうあの笑顔には会えない」という現実がなかなか受け入れられない日々が続いている。 約2年前、山に行ったまま帰らぬ人になってしまった機械科の同級生<谷>氏と、さらに十数年前に胃がんで早逝したやはり建築科の<佐>氏など、必死だけど充実した楽しい 20代を一緒に過ごした仲間が ポツポツと欠けていくのは本当に辛い。 良い奴ほど惜しまれつつ早く行くような気がするが、憎まれるほどではないにしてもそれほど惜しまれないだろう自分は、更に惜しんでくれる人が減るまで生きつづけるのだろうか? などと鬱々としつつも、友を想って合掌。 | |
2025/03/08 |
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