#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
右端上端の同一カテゴリージャンプボタンで同じカテゴリーの他の記事を順番にご覧いただけます。
Access Counter:
-2213- 人生の記憶 = 今日は画像なし m(_ _)m = | |
唐突で他人にはどうでもいいテーマだが、年末で離れたところに住んでいる義母を連れてきた。そこに近くの孫たちが来て、同じ家の中に(昔なら普通の風景だろうけど) 2歳~93歳が揃って、普段見ない曾祖母のことを怪訝そうに見ている孫を眺めていると、核家族が板についてしまった私は自分のはるか意識の彼方の幼かった頃のことを思い出して、つい「今この子はこの瞬間に何を感じて、それがどう記憶に残るのだろうか?」という想いになる。そして自然と自分の小さい頃の記憶を辿って、私の人生最初の記憶は何だったんだろうか?と考えてみた。 自分で一番古いと思われる記憶は、当然何歳の時かは自分では定かではないが、寝ている私の枕元で母と11歳年上の兄 8歳年上の姉が皆で心配そうに見下ろしている光景だ。大きくなってから母から何回か聞いたところでは、その光景は私が高熱を出してその熱がなかなか下がらず、富山の置き薬も効かずに途方に暮れていたところ、兄が何処かから買ってきてくれた漢方薬を飲ませてくれたところ、奇跡的に熱が下がった時の光景らしい。その時の薬は「熊の胆」で黒い塊の一部分を削り取って飲んだがとてつもなく苦かったと記憶しているがその薬の名前は多分大きくなってから母などから聞いたものだろうしその後殊更確かめたこともないが、私の記憶している光景は多分その時「熊の胆」なるものを飲ませられたときのものではないかと思う(この文を書くにあたって「熊の胆」を検索したら「健胃薬,強壮薬として古くから用いられた。」とあるから解熱作用は無さそうで記憶が違っているのかも?と思い始めている)。もしそうなら私が高熱を出したのは 2歳になるかならないかの頃らしいので、そんな小さな頃の記憶でもインパクトが大きな出来事か、あるいは高熱などの肉体的条件かはわからないが記憶には残るものだろうか。あるいは成長してから聞いた話をあたかも自分の記憶の一部として刷り込んでしまったのか、はたまたあの光景は全く違う時の発熱時のものだったのか?今更確かめようもないが。 その後は多分3~4歳の頃の記憶だと思うが、親父が近所の手伝いで洗面所のコンクリート製流し台を2Kmほど離れた町まで荷車で買いに行った帰り道、おそらく私にとって初めての絵本を買ってくれた時のもの。子煩悩とは無縁な父と出かけること事態珍しいことで、私はよほど嬉しかったのか父が引き母が押す荷車について歩きながら帰った光景もはっきり覚えている。その時買ってくれたのは動物と乗り物の絵本だったと思うが、(やはり成長してから聞いた話で補間すると)嬉しくて毎日開いては見ていたのだろう、文字を一つづつ兄や姉に聞いては覚えて まもなく一人で読めるようになったらしい。近所の人がそれを見て、(今なら普通だが)当時平仮名は小学校に入ってから読めるようになるのが普通だったようでびっくりしたらしく母はよく自慢気に話していた。これもだから自分の記憶と後に聞いた話が渾然一体となっていて、正確な自分の記憶が何処までなのかは判然としないが、父が流し台を設置した家の名前もその家の場所や家の外の流し台を付けた場所まではっきり記憶してるから、空間的な情報が加わると「記憶」がより強調されるのかも知れない。 更にその頃の別の記憶だが、何処かで貰ったリンゴを兄弟3人で分けて食べようとなった時、兄が「1/3と1/4とどっちがいい? 4の方が多いから1/4でいいよな?」と聞いてきた。慌てて姉が横から「ダメだよ。1/4は4つに割るんだから小さくなっちゃう! 3にしな。」と助け舟を出してくれたことも、家の北側の畑に続く低い石段のところでの出来事だったことをはっきり覚えている。この話は私が社会人になった後に、実家に戻って兄弟3人が揃った際に思い出して話すと、兄は「そんな事があったかなぁ?」と苦笑いし、姉は「そんな事覚えていない」と話していたから後からの刷り込みではないはずだ。それにしてもあの時私が騙されていたら兄は本当に1/4しかくれなかったんだろうか?それともからかい半分の話だけのつもりだったのか?と、兄も今更覚えてはいないから永遠に解けない疑問だ。 | |
2021/12/28 |
|