e日記風 独り言

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-1895- 死を意識:続き
歳と共に薄れる記憶を留めるための私的な想い出の続き。内容は表題からどんどん遠ざかって他人にはどうでもいい話だとは思うが。
そもそも最初に自然気胸の記憶があるのは高校1年の頃だったと思う。私の家から学校までは 1kmほどの距離で、当時私の学校では殆どの男子学生がバンカラ気取りで高下駄を履いて通学していたと思う。まだ半袖の晩夏の頃だったと思うが学校からの帰り道、家まであと 100mくらいの路上で突然息が吸えなくなって、どうすることも出来ずにしゃがみこんだ。当時のその道路は傍らが竹藪もう一方は2mほどの高さの土手の上に畑が続き路傍に人家はなく人や車などの通行もあまりない通りで、自分の体に何が起きたのかもわからず、暫くしゃがみこんだまま誰にも助けを呼べなかった。おそらく数分間はそのままで、その後仕方ないので様子を見ながらソロソロと本当に這うようにして家に帰り着いた。多分母は農作業でかなり離れた畑に行っていたようで、家には誰もおらずそのまま居間に寝転んでしまった。1時間以上経った頃、母が帰ってきたがその頃には息苦しさはかなり軽減してきて、息はかなり吸えるようになっていた。夕方だったので翌日病院に行くことにして、その日はそのまま普通の生活をして寝てしまった。
翌日、学校を遅刻して(総合病院が学校の直ぐ側だった)病院で受診したが、レントゲン検査でもはっきりとした原因は分からず、「気管支炎かも」と言われた。時間とともに息苦しさは軽減していくので、縮まった肺が再びもとの大きさに戻ったのかもしれない。
その後、同じような突然の息苦しさは3回位起きたと記憶しているが、暫くじっとしていれば軽減することが経験的にわかったので、対症療法でしのいで病院に行くこともなかった。高校を卒業して東京の電電公社に就職して、翌年夜間の大学にも通い始めた頃 将来の進路を考えて電電公社の「大学部」という内部養成機関に進むことを考えて受験をした。多分全国から数十人の合格者の狭き門だったと思うが、筆記試験は無事合格して身体検査が行われたが、その後内部の医務室に呼び出しを受けて「レントゲン検査の結果では気胸の痕跡があるが息苦しくはないか?」と聞かれた。上記のように息苦しい記憶はあったので、「何回かは息苦しくなった記憶があるしレントゲンも撮ったがそんな病気とは言われなかった。現在は全く息苦しさは感じない。」と答えたが、「どんなヤブだってレントゲンで発症している気胸を見逃すはずはない。」と言われて、結局合格基準の身体健全の条件を満たさないということで結果は不合格となってしまった。
当時の電電公社の大学部とは全寮制で、給与をもらいつつ終日大学並みの教育が受けられ、卒業時点では都道府県単位の勤務地が選択でき将来は各地方本部の幹部候補としての道が開かれるいわば準キャリアー的なコースだった。しかし大学部には技術コースと事務コース(名前は正確に記憶していないが)とに分かれていたものの、それ以前からすでに技術屋として生きることは私の中では既定路線で、大学部でどんな技術教育が受けられその先どんな仕事の可能性が拓けるのかは未知数で、合格したらとりあえず通っていた夜間大学は休学し、大学部に行って卒業時点で東京に残留し夜間大学に復学するか地方に移るのかを決めればいいと軽く考えていた。
・・・・・この先 更に想い出が遡るので、続きはまた。

今日の写真は先日散歩に出かけた出早神社で撮影したもの。ネームカードには「アブラチャン」とあったが、ちょうどその木に花が咲き始めその花にハエが蜜を吸いに?舐めに?来ていた。
2017/04/21
 
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