| -1413- 新茶 |
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今年も新茶の季節が来た。(店頭では5月頭辺りから新茶の袋が並んでいるが) 我が家は私がコーヒーを飲まないこともあり、普段は緑茶だけしか飲まない。他の食べ物、飲み物にあまりこだわりはないが、お茶だけは20年近くいつも同じ銘柄を買っている。京都の宇治茶の老舗の・・・・と言いつつ、普段は一番安い方のお茶。但しこの時期だけはその普段使いのお茶の5倍以上の値段を払って新茶を楽しむことにしている。 と言うのも、その昔 私の生まれた地方はお茶の葉の生産地の北限に近く、生家でも家の周りの土手にお茶の木が植えられており、この季節両親は自家製のお茶を作っていた。お茶摘みをしてそれを洗って蒸し、親父手作りのトタン製の粗末な乾燥オーブン?で流れる汗をぬぐいながら手揉みを繰り返してかなりの工数をかけて1年分のお茶を作っていた。私の両親は共に明治生まれで、私が知る限り喧嘩もなかった代わりに普段はとりたてて会話も多くはなかったが、お茶を作る時だけは蒸し加減、乾燥の火加減、出来あがったお茶の味見など、随分会話していたような記憶がある。私も面白半分にお茶揉みを手伝う事があったが、掌の火傷しそうなあまりの熱さとお茶の葉から登る蒸気の湿気に辟易として、親父に感心しながらすぐ退散してしまった。 あの当時はすでに近所でも自家製のお茶を作る家はあまり無くなっていたと言う記憶があるが、出来あがったお茶を近所に配ると一様に「美味しい」と言う評価をもらっていたようで、それを励みに毎年労働対価のつりあわない作業をしていたようなところもあった。 私も子供ながら飲んだあの作りたての緑の香りと、舌の上でトロンとした感じのする新茶の味が未だに忘れられないが、今まで試してみた色々なお茶はそれと比べると殆どが後から加えられたようなアミノ酸の味が強くて何杯もは飲む気にはならない。それが20年ほど前だろうか、味に蘊蓄の多い友人から勧められてこのお茶を飲んで以降、その自然の味に感動して他のお茶は一切買わなくなってしまった。 そんな親が育てた娘は、中学校の修学旅行で京都に行った時、タクシーの運転手にどこに行きたいかと聞かれ「お茶の一保堂」と答えたら、「そこは修学旅行のルートに入ってない」と断られて、折角お土産に買って帰ろうと思っていたのにとガッカリしたとか。 毎年この時期にはいつも同じ、そうした自分の親から子へと繋がる一連の思い出に浸りながら、新茶の味を楽しんでいる。 京都にかけたつもりもないが、丁度数日前からキョウカノコが咲き始めた。この株は戻り咲もするが、やはり今の季節の花の色は名前の通り艶やかだ。 |
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2015/05/20 |