e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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-1395- 忘れないうちに思い出を
久しぶりの同窓会で思いださせてもらった話を忘れないうちに書き留めておくことに。
私は(小学生の頃は、家にラジオもなかったので中学に入って何とか自分で作れるようになると、鉱石ラジオ+3球アンプを自作して聞いていたりした関係もあるんだろうけど)ラジオやアンプを作る事が好きで、若干の小遣いをもらうと町の模型屋兼ラジオ部品屋に出かけて真空管などの部品を買っては電子工作に勤しんでいた。だから、クラスの役員の中で自分の希望としては、面白そうな機器に自由に触れる「放送部」希望だったんだけど、残念ながらあの時代の中学生くらいまでは先生が役割を指名する傾向が強かったせいか、放送部の役は私の所に回ってこなかった。
高校に入学した時も、一年時は入学と同時にクラス割も役も割り当てられていて、私は何故か「図書委員」だった。2年時になると進路別の理数系・文系のクラス替えが行われて、役員も互選になった。部活は1年時から物理班に入って中学までとはレベルの違う測定機などを使えるようになったが、やはり「放送」の希望は捨てがたく自分で手を上げて「放送委員」になり、ようやく憧れの放送室への出入りが叶った。
もうそれからというもの授業時間以外は放送室に入り浸りで、担任が代わりクラスルームで出席をとるようになったのも知らず、2学期の途中には担任から「中島、オメ~ェこのままだと出席日数が足りずに卒業できんぞ!」と脅される始末。1年の時の先生はホームルームであからさまに出席をとっていなかったので、2年次からも同じと勝手に思い込んでいたんだが、各教科ごとの出席日数とは別にホームルームの欠席がいわゆる出席日数として通知表に反映されると言う事を知らなかった。まぁ、半分は性の悪い先生の脅しだろうとは思いつつも、それからは神妙にホームルームには顔を出すようにしたが、いまだに同級生の顔はほとんどうろ覚えだ。
で、今どうなっているか知らないが、あの頃は NHK放送コンテストというイベントがあり放送委員はアナウンス部門や番組制作部門にエントリーする習わしになっていた。我々が2年時の時も、先輩は何人かがアナウンス部門に参加したり地域のお祭りを取材したラジオ番組を作って参加していたと思うが、我々が3年時になると俄然これに熱が入った。
1~2年の委員には(知りもしない)朗読などを私も訳知り顔で指導してアナウンス部門に参加させ、番組製作も「ドラマ」を2本作ると言う計画が持ち上がった。同年の委員の中で芸術家肌の M氏がそのうちの1本のディレクターからシナリオまでを担当し、K氏がもう1本を担当したが、とりわけM氏の入れ込みようは凄くて効果音で流すドラマチックな音楽がイメージには合わないと自分で弾けないピアノを適当に叩いて効果音を入れたり、学校の近所の子供を連れてきてセリフを喋ってもらったりしながら皆で製作に熱中した。コンテストの開催は夏休み中で、番組テープの提出も夏休みに入るとすぐだったと思うが、最後の1週間くらいは真夜中まで続け、提出前々日からは徹夜での作業になった。
で、いよいよ明日朝締め切りと言う日の夜を徹してナレーションを入れつつ、場面ごとに撮りためた録音のピースを貼り合わせて最後の仕上げを行い、やっと通して1本のテープに収まったのは委員長がテープを電車で持ち込むと言う電車の発車時間まであと1~2時間というタイミングだった。しかしここで大問題が。 出来あがったテープを聞いてチェックすると、何と規定時間より数秒長いことが判明! もう一度取り直す時間はないし、こんなに皆で入れ込んだ成果が報われない・・・・「万事休す」と全員意気消沈した。 ・・・・しかし、ここで諦めるわけにもいかず技術担当の私が奇策を提案した。2台のテープレコーダを使って、再生する側のテープレコーダのキャプスタン軸に、スプライシングテープと言うテープを貼り合わせる時に使う薄いテープを巻きつけて、その再生信号を別のもう一台のテープレコーダにダビングする。こうすることで再生速度は軸が太くなった分早くなるので新しく録音されるテープには若干ながら短い番組が録音されるはず。
他に方法も思いつかないので、皆の期待を一身に受けつつ私が2台のテープレコーダーでダビング作業を行った。結果は電車の時間にあと30分くらいの所だったと思うけれど規定時間内ギリギリの番組テープが出来あがり、委員長はそれを携えて県中央の提出校まで電車で出かけて行った。
結果は、その苦労した番組は輝かしい「県大会優勝!」「全国大会出場」と言うもので、私たちが知る限りあの学校がそれまで「全国大会出場」したのはスポーツであれ文化部であれかなり希有なことだったハズ。アナウンス部門は入賞 1人だったと思うが、当時の記念写真には<優勝楯>含め3枚の賞状を掲げた仲間が写っている。
その伝統は次の世代にも引き継がれ、我々が卒業した年に委員長を託した後輩は今度はアナウンス部門で県大会優勝を果たし、一気に放送コンテスト入賞常連校の仲間入りしてしまった。
その後、彼の委員長は大学卒業後目出度く職業アナウンサーになったんだが、その彼がこの間の同窓会の席で驚くような事を教えてくれた。「アナウンサーになってから、あのキャプスタンにテープを巻くと言うワザを知っていたおかげで九死に一生を得たことがあります。」と言う。何やら取材のテープの最終編集チェックを忘れていたため、時間内に入りきらない取材番組を当日朝気づいてこの泥縄の秘策?で逃げ切ったとか。・・・・きっとその時はワウフラの酷い番組が放送されたに違いない。
私たちの製作番組も、藁をも掴む思いでポータブルテレコで聞いた時は気づかなかったものの、県大会の会場でそれなりのセットで放送されると繰り返しダビングしたせいでノイズは酷く、ワウフラも歴然としていた。・・・・それでも県大会は音の奇麗な他校の番組を押さえて優勝したんだから、如何に内容が良かったか? 結果以外は誰も知らないが。
それにしても、昨今の何かと問題の多い時代に学校で<徹夜>なんて問題外のさらに外だろうけど、当時は宿直の先生が回って来るのを察知すると電気を消して息をひそめやり過ごしまた作業再開というスリリングな冒険もした。本当に懐かしい思い出だ。(あの時の宿直の先生は実は気づいていて見逃してくれていたという後日談も青春ドラマらしくドラマチックだが)
そんな<青春>の時間を共有したと言う思い出は当時のメンバー皆に共通で、当時の1~3年だけの放送委員会の仲間が1~2年に一度集まっては思い出話に花を咲かせている。 

今日の写真はベランダの鉢植えで咲き始めたアメリカフウロ。ゲンノウショウコの仲間だと言うけど、昨年道端の雑草の中でに咲いていたのを見つけて、種になったのを見計らって失敬してきて鉢に播いておいたものがスクスク育ったようだ。ゲンノウショウコと同じ薬効があるかどうかは知らないが。
2015/04/28