e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、身体や健康とかに関連した記事です。
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-1112- 遺されたもの
始めは昔話になるが・・・
私が 10代の頃の実家は、小さなあばら家ながら親父が自分で建てた持ち家もあり畑等も少々はあったけれど、現金収入となるとかなり貧しい方で裕福に見える友だちが羨ましかった。特に、中学校までは遊ぶ友だちが皆近所であの地方では珍しく学校の先生や勤め人など「月給取り」の家庭が多かったこともあり、「○○のうちの子供」という見方をされて、否が応でも経済力の差を実感していた。
それが、高校に入ると通学範囲が一遍に広がったので付き合いは遠くの友だちになり、それにつれて家とは関係のない個人と言う付き合いになったし、あまりそうした事を感じたという記憶がない。逆に学力である程度の高校の振り分けがされたが、勉強も好きではないものの嫌いな方ではなかったと思うし、学力で悩んだ記憶もなく何を親から受け継いだとかそんなことを敢えて考えることもなかった。
更に 家を離れ学校を卒業して就職した 20代から 30代になって 曲がりなりにも仕事をある程度自分の意思で進められるようになると、親の与えてくれたものは金や財産よりむしろ仕事をする能力だと思うことが増えてきた。それと、結婚して子供が生まれると、逆に親から引き継いだであろう自分の性格や行動様式、思考パターンなどが今度はどう子供に受け継がれるのか、などということに思いが及ぶようになった。
それが最近、また切り口が変わってきた。それは「DNA」だ。60を過ぎたあたりから、周りを見ると結構健康に悩む知人が目に付く。70代、80代(あればだが)になって、長生きしても病気しながらでは楽しくないだろうと、遅まきながら若干は エクササイズや食習慣などにも気を使うようにはなったが、どうもそんな程度のケアは DNAに刷り込まれた細胞の「性格」に比べれば微々たる差のような気がする。
私は両親が歳とってから生まれたので、今ではすでに親父は 20年以上前に、お袋も 10年近く前に他界したが、今になってつくづく健康な DNAを残してくれた親、あるいは一人の顔も知らないがそのまた親に感謝して、10代のころはともすると恨めしく思っていたことを殊勝にも反省している。
不肖な息子だったかなぁ・・・・

写真は全く関係ないが、近所の公園に咲き始めた 葉アザミ・・・だと思う。
2014/06/09