-188- 「天使と悪魔」 = 今日は画像なし m(_ _)m =
186で書いた、「天使と悪魔」の中に登場する女性研究者ヴィットリアの以下の言葉に思わず共感してページに折り目を入れてしまった。 「ある者はイエスに祈りを捧げ、ある者はメッカに赴き、ある者は原子を構成する粒子を研究する。結局は誰もが真実を、自分より偉大な存在を探しているだけなのよ。」 この本は、「ダ・ビンチ・コード」と同じく、キリスト教会とその対抗勢力にまつわる歴史的な抗争を現代に延長したフィクションで、「天使と悪魔」では対抗勢力はイルミナティというガリレオ以来キリスト教会に迫害された科学者の友愛組織になっている。 このイルミナティに義父の素粒子研究者を殺害されたヴィットリアが、主人公の宗教学者Mr.ラングドンとの会話の中で、キリスト教徒かイスラム教徒かは言語や衣服と同じように単に、その人が生まれた場所で決まる、そして科学の研究者すらも「真実」を理解する手段が異なるだけで、全ての人が自分が親しんできた習慣を他のものより重んじることの問題だ、といような会話をしている部分。(P195-196) 考えてみれば、当然というような話だが、ほんのわずか視点をずらしただけでこんなにすっきりとした表現になるなんて。 この本は、サスペンス仕立ての本なのに、私にとってはなかなか読み応えのある、琴線に触れる本になりそうだ。上巻を読み終えたところの感想。
2006/09/30
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-187- ススキと紅葉の気配 = 今日は画像なし m(_ _)m =
冷たい雨が降って、めっきり秋らしくなった。 通勤電車の窓越しに線路の土手を見ると、一斉にススキが穂を出している。 会社の庭では、桜の木の葉が 所々色づき始め、気の早い葉は昨夜の強い雨で地面に落ちている。 しかし、帰りが寒いだろうと朝持って出た上着は、慣れないため、席の横にハンガーに掛けたままで帰りには忘れてきてしまった。 秋の気配が濃くなる中で、まだ夏の名残を感じた夕刻だった。
2006/09/27
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-186- 本 = 今日は画像なし m(_ _)m =
いつかの、ダ・ビンチ・コード以来、ちょっと本を読む時間が増えた。 最近は、たまたま嫁さんの付き合いで寄った本屋で見つけた、楠田絵里子の「ナスカ 砂の王国」という、ナスカの地上絵に取り憑かれて第2次世界大戦前にドイツからペルーに渡って、そのままナスカに一生を捧げたマリア・ライヘという女性を取り上げたノンフィクション。(これも単行本化されていたので680円) 巨石や遺跡に何故か惹かれると書いたことがあったけれど、マリアもナスカの地上絵の写真を見て引き寄せられ、そして楠田絵里子も同じようにナスカとマリアに引き寄せられたらしい。 ナスカの地上絵の最大の謎は、この広大な絵を誰が何のために描いたのかという事だろう。その目的は、絵が描かれた当時は厳然として存在したはずなのに、いくつもの推論はあるものの、どれが正しいという確証はまだない。そのことが、さらに一層人を惹き付ける。 この本を読んでも、その目的が明らかになると言うことはあり得ない、そう分かってはいるが、総論併記ではなく、マリアという女性の視点を通してなされた推論に興味があって、やはり短時間で読み終えた。 そして、今日は再びダ・ビンチ・コードの作者 ダン・ブラウンの「天使と悪魔」を買ってしまった。 この本は何日楽しめるだろうか?
2006/09/26
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-185- 中銀カプセルタワービル = 今日は画像なし m(_ _)m =
このe日記の No.131 に取り上げた耐震強度の関連の中の丹下健三の設計の静岡新聞ビルに似た、中銀カプセルタワービルという1972年竣工の銀座のビルが、建築後30年を経て、取り壊されることになったとか。 今日の新聞夕刊の記事。 このビルは黒川紀章氏が設計したそうだが、黒川氏は学生時代丹下研の学生だったそうで、それを知って「なるほど」と納得した。 一部屋が完全に独立したカプセルになっており、ボルトナットで軸になる建物に固定されているため、このカプセルが一つづつ交換可能になっており<メタボリズム=「METABOLISM:新陳代謝」>というコンセプトの具現化だとか。 たぶん、耐震強度には問題なかったんだろうが、雨漏りや壁のコンクリートの剥離でアスベストが露出するなどという問題で、コンセプト通りカプセルの交換か基礎から壊して建て替えるかの選択を迫られて、所有者の決議で立て替えに決まったとのこと。 所詮、日本の現代建築は、どんなにコンセプチュアルで先端的なものでも30年も経てば寿命になってしまうということか。 ヨーロッパの何百年と使われ続ける石の建築との差、あるいは東大寺や法隆寺のようなやはり何百年と生き続ける木造建築との差を改めて見せつけられた思いがする。 そんな大げさな建物でなくとも、身近な田舎に残っている、親父が一生かけて残した小さな家ですら、たぶん今年で50年は経っているだろう。カプセルの交換などという突飛な仕掛けはないが、屋根の葺替えや雨戸の交換などの手入れをしつつ、かろうじてながらまだ人が住める家を見直したニュースだった。
2006/09/25
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-184- MediaCoder = 今日は画像なし m(_ _)m =
HP更新で、動画を貼り付けようかと思って、デジカメで撮影して AVIにでも変換して、と思ったらはまってしまった。 雑誌で見たら、MediaCoderという海外のフリーなエンコーダーが良さそうなのでダウンロードしてきてインストールしたが、エラーで変換できない。 1日かまっていたが、今現在、動作せず。 残念だが、物欲ページも作れずに、今日はこのまま寝るか!
2006/09/24
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-183- キンモクセイ = 今日は画像なし m(_ _)m =
会社の帰り途、キンモクセイが強く香るようになった。 視覚や聴覚はその刺激によって、幼い頃のシーンを思い出させることがあるが、臭いもキンモクセイくらいの特徴ある臭いになってくると同じ効果があると気づいた。 私にとってキンモクセイの香りは、幾つになっても 幼い頃見た、家の近所のなまこ壁の土塀に囲まれた屋敷の中で、こんもりと端正に剪定された木に橙色の花がついている風景を思い出させる。 どちらかというと私は、このキンモクセイの香りが苦手だ。朝夕の湿った空気の中から、そこを通れば否応なく漂ってくる強い香りは、必ずしも評判のよくない土塀に囲まれた資産家の家、それと対照的に貧乏だった私の家を対比させて思い出させるからだろうか。
2006/09/21
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-182- 最後の蝉 = 今日は画像なし m(_ _)m =
台風が過ぎて、暑い日差しが戻ってきた。 朝、通勤時に、もういなくなったかと思った蝉の鳴き声。そう言えば、水たまりで飛び立とうと羽ばたく蝉を見つけた友人が、「こんなところにいたら踏まれてしまう」と傍の生け垣の中に放してやったのは、数日前の雨の日だった。その時、もうこれで今年の蝉も最後だろうな、と思ったことを思い出した。 昼食をとりに外出したとき、カラスに追われながらも間一髪逃げ切った蝉も見た。もうすぐ10月というのに、まだ蝉が羽化するのだろうか? 獲物を逃して近くの木にとまったカラスの眼差しが何となく印象的だった。
2006/09/20
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-181- 台風一過
台風13号がやっと行き過ぎようとしている。 九州地方では大きな爪痕を残したようだが、中でも宮崎県延岡市で特急電車が脱線転覆したというニュースの写真には驚いた。 最初の情報では、強風が吹いていたので徐行中だったと言うが、それにしても鉄橋上とかでなく平地を走っていた列車があんなに(見た目)簡単にひっくり返ってしまうとは、自然の威力はやっぱりすごいと驚きつつ、二つのことを考えた。 一つめは、電車、その元祖の汽車といったものが日本ほど強風の吹く環境を考慮して考えられた場合、もっと幅を広く設計されたかも知れないということ。電車や汽車の安定性は車体の幅というより地面に接する部分である車輪幅=線路の軌道の幅のような気がする。これは確か、広軌と狭軌というような区別をしているが、JR在来線をはじめとする日本の鉄道はかなり狭い軌道を採用していたと思う。当然、広軌の方が横風などの外力に対する安定性は高いはずだが、カーブの最小曲率は大きくなって土地が狭く山や湾が複雑に入組んでいる日本では鉄道建設が難しいことが予測される。そう言った見方からすると、日本の鉄道は経済的な条件を優先し、安全性に欠ける規格を採用してきたことになる。 二つめは、もともとそうは言っても鉄道=蒸気機関車=鉄の塊で速度は遅い という鉄道導入時の条件からすれば、さほど風の影響などは問題にならなかったと思うが、蒸気機関車>電車 と技術進化し、高速化や経済性を追求する中で、車体は軽量化し、どんどん横風に弱くなってきているだろうと言うこと。特に今回の災害が単なる平地で起きていることからすると、次回どこかで同じような横転事故が起きても不思議ではない。その時、もっと大勢の人が乗っていたり、速度が出ていたら、そしてそこに私の大切な家族や知人が乗っていないという保証はない、と考えると恐ろしい。 電車のように、利用する人たちにとって代替えのないサービスは、単なる高速化や経済性の追求から、少し後戻りしてでもいいから日本の自然にマッチした安全性へと設計の基本を切り替えないといけない時期にさしかかっているような気がするのだが。 久しぶりの写真は、やっぱりこれを書きながら西の窓から見える台風一過の夕焼け・・・安直!
2006/09/18
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-180- 何度目かの「バカの壁」 = 今日は画像なし m(_ _)m =
かなり以前に、このe日記で人間の脳の構造について勝手な分析を書いたことがある。 No.62 あたりからの「バカの壁」に関する話の中だが。 今朝、ひげを剃りながら、またこの話を思い出した。 まだ、道具のページに書いた日立のロータリーシェーバーを使っているが、今年7月頃外刃が欠けて取り替えたのに、さすがに本体も寿命なのか最近はそり残しが多くなって来た。 しかし、そのそり残しはきれいに剃れないわけではない。シェーバーの動かす方向を逆剃りの向きにすれば、ある程度までは剃れる。 で、シェーバーをあっちに向け、こっちに向けしながら剃っているが、そうしながらふと思った。私の髭はあごや頬のあちこちで非常に複雑に生える向きが変わっている。他の人もこんなに複雑に変わっているんだろうかと疑問になった。 そこで「バカの壁」の話につながるのだが、毛の生える方向というのは人間の皮膚が成長してきた方向を示していると聞いたことがある。普通、ツムジというのは頭のてっぺんにあって、人間が卵子から細胞分裂していくときのかなり初期に、そこを中心に分裂していくため、あんな渦巻き状の模様が出来るとか。 ツムジが二つ以上あったり、頭のてっぺんにない人はいわゆる「ツムジ曲がり」と呼ばれるが、小さい頃に周りの大人は、性格が偏屈な子供をつかまえては「お前ははツムジが二つあるからだ」と言っているのを聞いたことがある。 私の頭にツムジがいくつあるか自分では分からないが、もしかすると私の顔や首と言ったところに、実は幾つもツムジがあって、そのせいでこんなに髭の生える方向が複雑なんではないだろうか?と思ってしまった。 そして、当然、そうした細胞分裂の順序は体皮だけでなく、脳細胞の分裂順序にも影響するとすると、ツムジが曲がったり幾つもある人はシナプスのつながり方も生まれつきバラバラで、それが発想の仕方に影響するのかも知れない・・・・なんて、自分の「少しだけ」ツイストした性格を「ツムジ」のせいにしながら髭を剃っていた。 そのせいか今日の髭は、そり残しが多いような???
2006/09/17
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-179- 下手なドラマより面白い HPの内紛劇 = 今日は画像なし m(_ _)m =
下世話な情報ですが、最近 注目しているニュースがあります。 HP(ヒューレット・パッカード)社の取締役会が大もめしているというニュースです。もともと、社名の2人が始めた計測機器などを製造する米国の先端超優良企業でしたが、最近は インクジェットプリンタやコンパック社を買収したパソコンなどが事業の中心になっているようです。 この会社が、別の意味で有名になったのは、カーリー・フィオリーナという美人CEOを AT&T 関連会社からスカウトして、彼女の指導力で社内に反対の強かった コンパックとの合併を成し遂げたということだったと思います。 しかし、コンパックという会社は、それまでの HPとは全く逆の、PC市場では一定のシェアを持っていたとはいえ開発・製造は全く社外任せの、技術的にはオリジナリティのない会社でしたから、保守的な社内の反発もすごかったようです。 このことが尾を引いて、彼女は間もなく取締役会と対立し退陣させられるのですが、更にその余波があって、社内のこうしたドタバタに関する秘密情報がマスコミに漏洩され、その漏洩元として彼女寄りの取締役が疑われて、新しい CEO(パトリシア・ダン氏)がその情報漏洩調査をしたのですが、その調査を請け負った探偵社が調査の過程で取締役やマスコミ関係者の個人情報や通話記録などを不法に入手していたというものです。 当初、ダン会長は違法な調査を否定していたようですが、取締役の一人がこうしたドタバタに嫌気して辞任し司法当局に違法調査を告発した結果、今日のところでは、結局、調査を指示したダン会長も違法調査を認めて会長を辞任し、情報を漏洩したとされるキーワース氏も取締役を辞任すると言う結末になったようです。 しかし、HPと言えばPCはもとより企業向けの情報システムも販売していますので、一際情報セキュリティに関しては厳しそうな気がするのですが、そうした会社のトップが自ら情報を漏洩したり違法入手を見過ごしていたということが明らかになったわけで、アメリカという国のもう一つ信じられない側面を見てしまったという感じです。
2006/09/13
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-178- 昨日の続き = 今日は画像なし m(_ _)m =
昨日のソフトブレーンの宋氏の話の続き。 もう一つ、同感した意見があった。それは、創業する才覚と大きくする才覚は別のものという主張だ。私もかってこのことは強く感じていた。 上から見ると、新しいプランを練ってうまくスタートを切った人間は、その後も引き続きそのプランを軌道に乗せることができるだろうと期待するのだろうけれど、うまくスタートできたら、次のランナーにバトンタッチするということが必要な場合もある。 スポーツは得意な方ではないが、駅伝に例えるなら第一走者はいろいろ考えすぎて緊張しすぎる人より出たとこ勝負でしゃかりきに走れるような性格が適している場合が多いだろうし、第二走者は落ち着いて周りを見て状況に応じた走り方をできる人がいいとか、あるような気がする。 氏は、自分に創業の才覚はあるが、拡大の才覚は人に劣ると判断して退任の決断をしたそうで、普通そこまで冷静な判断をできる人なら拡大も可能ではないかと思ってしまうだろう。 私はよく、三国志に出てくる英雄に例えて、槍や乗馬が得意な武将には平原の戦いに、刀が得意な武将には接近戦しかできない森の戦いに赴かせるべきであって、例え平原で目覚ましい戦果を収めたからと言って森に逃げ込んだ敵を同じ武将にそのまま追走させるようなことをすれば、狭い森の中では長い槍も馬も自由には使えず、有能な部下を無駄死させることにつながると言ってきた。 と言うのも私は幸か不幸か大雑把な性格で、混沌とした中から何か一つのものを手探りして大筋の方向性を見つけることは得意だが、整然とした中で一つの間違いもなく物事を進めることは大の苦手だから氏の言わんとすることがよく分かる。 別の例を上げるなら、人工衛星打ち上げロケットの場合、引力圏を脱するための初段、2段目と、静止軌道に乗せるための最終段のような分担になるだろうか。物事を始めるときは、いろいろ細かなことに気づく人はアドレナリンが不足しネガティブ志向になってエネルギーが不足しがちだし、引力圏を脱して回り始めたものを軌道に乗せるのはエネルギーよりは緻密な制御性能が必要になるようなものだろう。
2006/09/07
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-177- 今日気になった言葉 = 今日は画像なし m(_ _)m =
今日、ネットをみていて珍しく感動した言葉があった。それはソフトブレーンを立ち上げた元社長の宋 文洲(そう ぶんしゅう)氏が、ソフトブレーンの役員を完全に退任するにあたって記している言葉。 退任の弁・最後の経営判断、自分を辞めさせること この記事に感動したのは、他でもない、どこかの会社で遙か昔の貢献を楯に、老醜と言われて尚、役職にしがみついていた人を見て、かって私が考えたことを見事にまで言い切ってくれたと言うこと。 本田宗一郎らの一部の名経営者と呼ばれる世間からすればまだまだ役職に残っても何の不思議もない人たちがすっぱりと辞めていった話と、上記の人との対比をさせ、当時、最後の仕事は自分が辞めるタイミングを決めることだろうという私なりの結論に達した。氏が自分が退任するに際してこうしたコメントを残すと言うことは、逆に言えば氏の周りにも同じような、老害をまき散らす経営者が多いと言うこと、それに対して氏なりに警鐘を鳴らしているのだろうと感じた。どんな業績を残した人でも、その功績にしがみついて辞めるタイミングを失してしまっては、せっかくの貢献が水泡に帰すということを分からない人が多いということか。 私がこんな結論に達しても何の影響もないが、日本経済界に鋭い直言を呈する宋氏が同じことを言い、身をもって範を垂れてくれたと言うことを知って、この人をもっと知りたいという気になった。 できれば、日経はこの記事を日本の全ての経営者に届けてもらいたい、と思った。 ま、こうした批判を間違っても受ける心配のない自分は気楽でいいが。
2006/09/06
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-176- ドライブナビ
昨日記したように家族旅行で諏訪近辺を巡るのに、行き帰りはJRで現地ではレンタカーを借りた。 最近のレンタカーは当然のごとくにナビがついているが、私は他人の車でちょこちょこと使ったことはあるが、初めて自分の運転で本格的にナビを使ってみた。ナビを使うのはかなり遅い方で、今更ナビの使用感なんてと言う気はするが。 で、使ってみると、自分が今どの辺りを走っているのかが全く意識しなくなる。途中で指示から外れて間違えれば、元のルートに戻るような指示をしてくれるし、指示通りに走っている分には便利と言えば便利なんだが。 地図を見て走っていたときは、今自分は地図上のどの辺りにいるのか、次はどの目標が見えるだろうとか、頭の中の地図にいちいち自分の場所がプロットされていったのに。 ナビの指示に従ってしまうと、昔、何回か走ったことのある道なのに、全く地図が頭に浮かんでこない。突然、記憶にある交差点が現れたりして、ああ あの辺りか と思う程度だが、じゃあ次にはどんなところを走るんだろうなどとは考えない。とにかくナビの指示の通り走れば楽だ と思ってしまう。 きっと、そのうちオートマチック車しか運転できなくなってしまうのと同時に、ナビなしには新しいところには運転していけなくなってしまうんだろうか? ナビへの目的地のセットを間違えて、全く違ったところに行ってから気づくなんて笑い話にもならない話が聞こえてきそうな気がする。 そうか、この自動化も人間の頭を退化させる便利な道具になってしまうのかと、かって書いた自動測定器の罪悪について思い出しつつ走った。 早速、独り言のページにでももう一ページ追加しておこう。 今日の写真は、立ち寄った公園の「メダカの池」のホテイ草とメダカ(よく見ると見えるはず)の写真。
2006/09/03
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-175- 高原の秋気配
上諏訪温泉に宿泊した後は、霧ヶ峰に上った。 今年は、訪れる季節がちょっと遅かったので、観光客もまばら。高山植物はほとんど花をつけていないし、ススキが穂を出して、早 秋気配。 その一面のススキの原の向こうに八ヶ岳が霞んでいた。
2006/09/02
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-174- まとめて
金曜日(1日)から、家族で諏訪方面に旅行しており、書き込みが出来なかったので、まとめて記入します。 我が家の女性は雨女が多く、移動するときは必ずと言っていいくらい雨が降る。さて出かけようと玄関に出ると、途端に降ってくることや、出迎えに行って電車がホームに入ってくる時に同時に雷雨を連れてくることも良くある。でも到着してしまうと、しばらくしてやむことも多い。 1日も例に漏れず朝から雨だったが、上諏訪に到着して蕎麦を食べて、あちこち歩いていると雨はやんだ。 旅館に到着して、早めに展望露天風呂に入ると、目の前いっぱいに雨上がりの澄んだ空気に夕焼けが広がっている。湖に夕焼けが映って絶景。昔、諏訪湖近くの展望レストランから夕焼けを見ながらお茶を飲んだことがあったが、この景色を見ながらの風呂は嬉しくなってしまった。しかも、他には誰もいなかったので独り占め。一人ではもったいないくらいの景色。 慌てて部屋に戻って、家族(全員女性)に薦めておいて、カメラを取ってきて記念撮影。 男湯でもさすがに他の人が入っていたらカメラを持って入浴するのは憚られるが、一人ならお咎めなし。高い階に風呂があるホテルも多いが、いくら景色が良くともガラス越しだとガラスが湯気で曇ったり露結したりで写真は難しい。ところがここは露天風呂なので、素通しに撮影できる最高のシチュエーションだった。
2006/09/01
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