-1897- 死を意識:締め |
長々と書いてきた個人的な思い出話の締めとして。 それにしても、高校時代の最初の発症時に病名を特定されて早めに処置していれば電電公社の大学部は合格したかもしれないが、見方を変えると、もし最初の発症時に病名が特定されていたら間違いなく田舎の医者に執刀されただろうから十数箇所もの患部を持つ私の肺では手術結果がどうなったかも分からないから、ある意味病名を特定できなかった医者にも感謝しないといけない。 更に、電電公社を辞めなかったら、例え大学部を卒業しても通信研究所にいける可能性は限りなくゼロに近いから開発・設計という本当に希望した進路は進めなかっただろうし、このWebのあちこちに書き散らしたデジカメの立ち上げとかその他諸々の技術との出会いなど、こんなドラマチックなサラリーマン生活なんてあり得なかった。そういう意味では大学部受験の前に手術を受けて合格したり、合格後に手術を受けたりでもない身体検査での告知というタイミングは私の人生では絶妙だったとも言える。 本当に世の中何が幸運で何が不運につながるのか・・・・最後までわからない。・・・・いや、まだ分からない?! 今日の写真はキクザキイチゲ。この下のアズマイチゲの仲間らしいが色と葉っぱの先の裂け方が違うらしい。 |
2017/04/24 |