e日記風 独り言

#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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-2312- 暮れの憂鬱
= 今日は画像なし m(_ _)m =
人生の暮れで、歳の暮れ。
そもそも暮れというのは ただでもうら寂しいものだが、今年の暮れは一層寂しく感じている。
というのも毎年この時期になると、賀状の辞退(訃報)のハガキが届く。その訃報の主の享年が徐々に自分の世代に近づいてくるように感じていた。
それが今年は2通、しかも同級生だったり後輩だったりしてかなりダメージを受けた。一人は大学時代の同級生。お互いに昼間は仕事をしながら夜間通学する身だったが、時間を開けては駅前の飲み屋に通った妙に波長の合った仲だ。彼はそんな生活の中、4年の頃に学生結婚すると言い出して、身内だけだからと私は式の司会役を頼まれた。その時は奥さんが私と同郷だと聞いて縁を感じたが、後にその奥さんは私の中学の同級生で別の高校、大学に進んだ友人(やはりコロナ前には毎年一回は一緒に飲んでいた)と高校の同級生だったことが分かって、不思議な縁に二度ビックリした。その頃私たちは工学部で卒業後は主にメーカーや公務員が就職先だったが、彼は教員の道を志して、卒業後さらに理学部の数学科に学士入学して遅まきながら20代の終わりに教員免許を取得して、埼玉県の高校の数学教師になった。
そんな彼とも現役時代はお互い忙しく2〜3度しか同級会も開かれず年賀状だけのやりとりだったが、60歳を過ぎた頃から彼の声かけで同級会が行われるようになり、コロナの前はほぼ毎年開催された。2020年以降 新型コロナの流行でそれも中断したが、年一度は電話をして近況報告をしあっていた。去年もちょうど今頃電話をして、彼はちょくちょく山登りに出かけており去年は私の故郷の中央アルプスの西駒ヶ岳に登ったと話していて「来年は是非会って飲もう」と約束していたくらいだから、ハガキを見てもしばらくは信じられなかった。
気を取り直して電話したら奥さんから「実は 4月に群馬県の山に出かけたが夜になっても帰らず、登山口の駐車場で車は見つかったが、民間捜索団体にも依頼するなど手を尽くして探したがついに見つからず、ふた月ほどして仮葬儀を執り行った」と聞いて言葉を失った。お互い歳の割には元気な方で、まだ何度も会えると思っていたが、もう二度と彼の笑顔も見られず声も聞けないと言う現実がまだ受け入れられない。
もう一人は、高校時代の放送委員会で一緒に活動した2年後輩の男だ。私は高校に入学して、放送機器が扱えるというだけで放送委員会に入った。当時の放送委員会では毎年行われる NHKの全国高校放送コンテストに参加する習わしで、それが私たちが3年になってから、友人の発案でその友人の<シナリオ・監督>の下 かなり気合の入ったドラマ番組製作を行い、宿直の先生の目を盗んで校内で数回の徹夜を経て番組を製作し、提出日ギリギリになって徹夜明けで委員長が電車で松本の NHKまで届けに行った。そんな努力の甲斐があって、その番組は長野県では優勝して全国大会に進んだが、さすがに全国大会となると編集機器の差なども歴然としていて入選することは叶わなかった。そんな青春の思い出を共有する当時の1〜3年の仲間が やはり 60歳を越えた頃 OB会と称して集まるようになった。今年逝去した彼は卒業後長野県の電電公社に就職したが、私も高校卒業後は東京の電電公社に就職して大学に通ったことから電電公社という共通の話題で盛り上がったものだった。それが 1年後輩で地元に帰っていた仲間から、『6月に急逝していたという訃報が届いてビックリして電話したら急病で逝去した』のだという情報が届いた。
こんなに続けて同世代の訃報を聞くと、今はどんなに元気でも 次が自分であっても何ら不思議はないという思いと、会えるうちに会っておかないと、という思いを一層強くしている。
合掌
2023/11/23
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