e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録です。
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楽 天 の 商 品

-90- TVの普及と文化の変化 その3
= 今日は画像なし m(_ _)m =
また、TVの文化への影響についてです。
 最近は、食べ物の番組が非常に多いような気がします。TVが好きでない私からすると他人が「美味しい美味しい」と言って食べるのを見て何が面白いんだろうかと思ってしまうのですが、きっと 何時かはあれを食べたいとか思って見ているんでしょうね。
 こうした番組で、本当はほんの僅かの季節、その地域でだけ食べられる食材のおいしさをTVが伝えた途端、日本国中でその食材が引っ張りだこになったり、その地方を訪れる人が増えたりしますが、でも次の食材が伝えられるとあっという間にまた元の状態に戻る、そんなことを繰り返して地域性は失われていきます。
 私の世代の場合、テレビが生活に登場したのは中学生の頃でした。小学生の頃、電力会社に勤めている父親のいる同級生の家に TVが入って、そこで「透明人間」というドラマを見た記憶があります。家に帰っても「どうして人間が透明になれるんだろう、あの包帯を顔から外していくシーンはどうやって撮影するんだろう、もし自分が透明人間になれたら何をするだろう」などと興奮して真剣に考えたことを憶えています。そして、それまでになかったそれらの体験はテレビの向こう側のモノを「虚像」として、それまでの身の回りのモノの様な「実体」とは区別してみる TVの見方を自然に身につけることが出来るようになったと思っています。
でもその後生まれた世代は、物心付いた時から生活の中に TVがあります。TVと言うモノは身の回りのモノと同様に「実体」なんです。ですから彼らの世代にとっては TVの向こう側の「虚像」とこちら側の「実体」が混沌として、実体と同じように TVに映された映像によって価値観が左右されたとしても当然でしょう。 TV画面で見たキャラクターに遊園地で会ったら、例えそれが空を飛ばなくても、それはもう画面全体、ストーリー全体が「実体」になってしまいます。最近は更に進化して、実在しない仮想の俳優が演技をするドラマが出来るのではということすら言われています。
 戸外が寒いので、不精して写真は今日もお休みです。スミマセン。
2004/01/24