#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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楽 天 の 商 品

-2027- 思い出の続き・・・
= 今日は画像なし m(_ _)m =
最近、久しぶりで始めた仕事のせいで、懐かしい人と会うことが増えた。懐かしい人と会えば当然懐かしいことを思い出す。しかし、そろそろそうした懐かしいことも記憶からこぼれそうな気もしてきて、文字にしておこうという気がし始めた。
秋も深まると、昔のことを懐かしく思い出すことが増えるんだろうか?
私が学校を卒業して精密メーカーに就職した話はここに書いたが、もともとどちらかと言えば医療機の開発の方を希望していたのに、その頃の人事の方針でとりあえず最初の配属は希望とは異なる職場になった。結果、私はカメラの開発だったが、配属されて初日の上司との面談で、写真の経験を聞かれ「君の希望は医療機のようだが、カメラも面白いからとりあえずやってみなさい。何年かしてどうしてもという時は相談しよう。」と言われその時は、不承不承まぁ「開発」だっただけいいかと思ったことを覚えている。
しかし、配属されたその職場で何人かの先輩に巡り合ってすぐ「カメラ」という商品の開発は私には向いていないと悟ったことがある。と言うのも、聞けばほとんどの先輩は小さな頃からカメラに馴染んでおり、写真がすきでカメラに一家言を持っている人たちだった。とりわけ私に面談した上司は学生時代の写真好きが嵩じて「オリンパスペン」というヒット商品の構想を引っさげて入社し、その開発を推進して一世を風靡したという伝説の人だった。
一方私はと言えば、親の経済状態から家にカメラはなく、初めて自分で写真を撮ったのは高校時代に放送部の全国大会出場記念に写真を撮ろうと言うことになって、一番学校に近かった私が隣の家から借りたカメラを持っていって撮影したというくらいで、写真やカメラなんて語ろうにも語れない。こんな人達とどんな商品を開発をすべきかなんて議論し合っても勝ちようがない・・・と早々に尻尾を巻いた。その代りにカメラという商品で競えないなら、やはり自分の立ち位置は「技術」しかないだろうと考えた。
まぁ当時は先輩と言っても、殆どはメカ屋で領分が違うから仕事は丸投げされるし、分からないことは先輩に聞くよりも、図書室などで自分で調べて対応するしかないという具合で、インターネットで何でも調べられる今とは違って、ある意味ではのどかな時代だったということもあり、そんな私の技術へのコダワリも誰からも干渉されることはなかった。1台数百万円するような測定器も、他にそんな予算を欲しがる人もおらず割り当てられた予算枠内ならそれらしい理由をつけて申請すれば購入が許されたので、思うように実験などが出来た。時にはメカの高速動作解析装置などのように、役立つと思えばメカ屋が欲しがりもしないのに焚き付けて予算化させたりもした。
もう一つ、入社面接でも述べた志望動機の通り私には「これからは電気・電子技術が機械装置を革新していく」という読みもあったが、上司やメカ屋の先輩たちを見ているとあまりそうした切迫感は感じず、このままではいけない・・・という思いもあった。だから、先輩からは仕事について日程やコスト以外管理されないことをいいことに、なるべく新しいことを調べそれが採用されるように仕掛けるという仕事のスタイルが自然と身についていった。
懐かしい先輩と話しつつ当時のことを思い出し、こうした先人が私の道標になってくれていたんだ、というようなことに今更ながら気づいた。
2018/11/25